■まだある!ドリフ「爆笑伝説」

ビートルズの前座だったドリフ 1966年、『ビートルズ』日本武道館公演(全5回)の前座を3度務め、『のっぽのサリー』を演奏。ボーカルは仲本工事だった。微妙な空気になった会場から、いかりや長介が「逃げろ!」と叫んで撤収。

『全員集合』セット火災事件 1977年5月、西城秀樹郷ひろみらが参加した探検隊コントの最中、モデルガンの火花が小道具に引火して非常ベルが鳴り響いた。すぐに火は消えたが、いかりやが「探検ここまで!」とコントは中止に。

知られざる「学校コント」の真実『全員集合』では舞台装置に手を抜かず、毎回、大がかりなセットが組まれた。大幅な予算超過となった翌週は、調整のために、黒板や机、イスなど、安上がりですむ学校コントになることが多かったとか。

驚きのギャラ事情 後年の志村けんの告白によれば、ギャラの配分は、いかりやの6に対して、高木・仲本・加藤・志村各1だったとか。不満を持っていた志村だが、ドリフにとってリーダー・いかりやが不可欠だったと認めている。

加トちゃん脱退未遂事件 荒井注と加藤は2人で、いかりやに脱退を告げる約束をしていたが、荒井が先走ってしまう。「大変なことに」と慌てるいかりやに、加藤は何も言い出せず残留。このとき辞めていたら歴史は変わったかも?

『東村山音頭』は志村の曲ではない!? 元は三橋美智也と民謡歌手のデュエット曲だった。志村はそれを大胆にアレンジして持ちネタにしたため、原曲に3丁目、4丁目といった歌詞はない。現在、ご当地の東村山駅前には志村の銅像が立つ。

高木ブーのマラソン挑戦 ドリフはホノルルマラソンに何度か挑戦しており、いかりやと仲本工事は完走経験あり。一方、出場者が多く、スタートの2キロ後方から走り始めた高木ブーは、スタートラインにたどり着く前にギブアップ!

霊柩車に「なんだバカヤロウ!」元メンバーの荒井注は2000年に他界。出棺時、参列者は荒井のギャグ「なんだバカヤロウ!」を叫んで霊柩車を見送った。なお、亡くなる前に当時のメンバーと荒井はCMで共演しており、仲は悪くなかった。

調子が悪ければ……『全員集合』は打ち合わせや稽古に時間がかかるので、誰かが穴をあけると一大事。仲本はいつも「体調管理だけは徹底。異変を感じたら、すぐ医者に」と語っており、その習慣は晩年まで変わらなかった。

最後の「全員集合」の呼びかけ人 2017年のテレビ番組で、他界したいかりやと荒井を除く4名が勢ぞろい。復活を呼びかけたのは、再集結に消極的と噂されていた志村だった。12年ぶりにコントを披露し、結果として、これが最後の機会に。

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