■荒井注の脱退、志村けんの加入
「『ジス・イズ・ア・ペン』『なんだバカヤロウ!』と、ふてぶてしい態度のキャラで人気だった荒井注さんの脱退です。ドリフにとって大きな痛手でした」(同)
荒井は74年3月に芸能界を引退(のちに復帰)。その穴埋めで加入したのが、付き人だった志村だ。
「独自に『マック・ボンボン』というコンビを作って、テレビにも出ていた志村さんが、いかりやさんは気になっていたそうです。そんな志村さんを新メンバーに推したのは、加藤さんだとか」(お笑いライター)
7歳離れている加藤と志村だが、プライベートでも親しかった。
「志村さんは付き人時代、一度脱走したものの、考え直して復帰を希望します。ただ、いかりやさんが怖いので、話しやすい加藤さんに相談して、取り次いでもらったことも」(前同)
付き人に戻った志村は、実家がある東村山市が都心から遠いので、加藤の自宅に居候することに。
■加藤茶に運転手をさせた志村!
「その頃の志村さんは、運転免許を持っていないので加藤さんが運転する車で、住まいと仕事場を行き来していました。つまり、スターの加藤さんに運転手をやらせていたんです。また、家では加藤さんより先に風呂に入って呆れさせていました」(同)
まるで、コントのような生活を送っていたわけだ。
ドリフ入り直後はギャグが空回りすることもあったが、『東村山音頭』の大当たりで一躍、人気者に。以後、ヒゲダンス、早口言葉、カラスの勝手でしょなど、次々にヒットネタを生み出した。『全員集合』の第2次黄金時代を作った志村は、天性のコメディアンだった。
「あるとき、民宿のコントで、トイレが傾いて、中にいる志村さんが、壁を破って外に飛び出すというネタが予定されていました。ところが、トイレのセットが完全に倒れてしまったんです」(放送作家)
志村は無事だったのか?
「加藤さんと高木さんが、倒れたセットを持ち上げると、志村さんは自力で脱出して、そのままコントを続けました。あのプロ意識の高さはすごかった」(前同)