■『NHKニュースワイド』のキャスターに

 東京に戻ったのは、入局10年目です。オリンピックを経験したものの、東京ではスポーツアナウンサーとして下っ端ですから、担当するのはNHK杯のフェンシング、フィールドホッケー、馬術と、どちらかというと地味な競技種目が多く、“たまにはプロ野球もやりたいなあ”なんて思いもしました。ただ、よくよく考えてみたら、選手は必死の思いで研鑽を重ねて、年に一度のNHK杯に出場しているわけです。また、その親族や関係者の方も大変な集中力で中継をご覧になるでしょう。 “であれば、いい加減な放送はできないな”と気づいて、競技を深く理解し、ルールを熟知して取り組んだんですね」

 真摯な努力が評価されて、念願かなってプロ野球も担当するようになる。また、81年4月より 『ニュースセンター9時』のスポーツ担当に。2年後には、朝のニュース番組『NHKニュースワイド』の土曜キャスターに起用された。

「『ニュースワイド』には、ラッキーだったことがあります。83年度は、日本ドラマ史上最高視聴率を取った、朝の連続テレビ小説『おしん』が放送されていたんです。そのため、『おしん』の放送が始まる直前の番組後半には毎回、瞬間視聴率がグワ〜ッと上がっていきました」

『ニュースワイド』の視聴率は絶好調で、草野の人気も急上昇したが、85 年にNHKを離れる決意をする。

■TBS『朝のホットライン』新キャスター

「当時のNHKのアナウンサー集団は自らの職域を広げようとせず、仕事の発注を待つだけでした。対して私は、アナウンサーも局内で力を持つ報道局と競争できるように能動的に動くべきだと考えていました。そんなある日、アナウンス室長から“我々は報道局の方針に従うようにしました”という通達があり、私は退局を決意します。ちょうど、そんな頃、幸いにもTBSから“『朝のホットライン』という番組の新キャスターとして入ってくれないか”というお話をいただいたんです」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4