■ホークスが“パの盟主”として君臨

 こうした西武のノウハウを踏襲したのが、2000年代以降、“パの盟主”として君臨するホークスだ。

 その西武から根本氏を招聘したのがダイエー時代のオーナー、中内㓛氏。その志を継承したソフトバンク・孫正義氏も、ともに“金は出しても、口は出さない”という堤スタイルを貫徹してきたオーナーだ。

「本当に強いチームを作ろうと思うなら、豊富な資金力を持つオーナーと、それを運用するフロント、そのフロントが整えた戦力を使う監督の三者がそろってこそ。そういう意味で孫さん、王さんがいるソフトバンクが強いのは当然だね」(同)

 ちなみに、ダイエーでも選手獲得に豪腕を振るった根本氏は、1993年から2年間だけ監督も兼任した。

 これが、初優勝まで11年もの歳月を要したダイエーの“常勝”構築を遅らせた、と伊原氏が続ける。

「田淵(幸一)さんの3年目は、僕らも“いやらしいチームになってきた”という印象でね。でも、根本さんに替わると聞いて、森さんと“じゃあ、(マークしなくて)大丈夫だね”なんて話をしたよ」(同)

■イチローを擁したオリックス

 ホークスがもたつく間に強くなったのがイチローを擁したオリックスだ。しかし、95、96年のリーグ連覇後、四半世紀にわたり優勝から遠ざかる“暗黒期”に突入。伊原氏も、近鉄との合併前年、04年シーズンに監督として指揮を執った。

「宮内(義彦)さんは、12球団のオーナーの中でも群を抜いた野球好き。キャンプ視察に来ても、まずは自分がキャッチボールを始めちゃうような人だったから(笑)。ただ、私が監督のときも、巷で言われているほど“口を出す”場面はなかったよ」(同)

 では、なぜ、黄金期が長く続かなかったのか。

「資金力はあったけど、ドラフト戦略を含めた巡り合わせが悪かったとしか言いようがない」(同)

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