■読書家として知られる

 2人を導いた「教え」は、学校にも存在する。大谷が通った花巻東高野球部の佐々木洋監督は、同校の日本史の先生でもあった。

「大谷が高3で進路に悩んでいた頃、日本史では、ちょうど幕末の授業があった。そこで佐々木さんは、損得ではなく、命がけで国を変えようと行動した維新の志士たちの生き様を教えたんだそうです。志を持つ大事さを、伝えたかったんでしょうね」(前同)

 読書家として知られる大谷の愛読書の中には、勝海舟の本もあるという。

■数学が得意科目

 一方、藤井の高校時代の得意教科は数学。彼の通った高校には、数学の授業に大きな特徴があった。

「問題の解法を一つに絞らず、さまざまな切り口の解法を用いて答えを求めるように指導するんだとか。これは将棋の思考パターンに近く、現に数学の授業で、藤井さんは光るセンスを見せていたそうです」(全国紙文化部記者)

 両親、指導者、先生……多くの人たちの影響を受けながら、2人は成長し、自らの道へと進んでいった。

「聡太は中学でプロの棋士になって、もうこの時点で、すべての時間を将棋に使いたいという、人生設計ができていた。結局、高3の正月頃に高校中退を決意したようですが、お母さんも、彼の選択と思いを尊重したようです」(前出の文本氏)

■自分自身で人生の選択

 それは、大谷の両親もまた、同様だったようだ。

「大谷家は、子どもの人生の選択に口出ししない方針だそう。だから、高校選びもプロ入りも、すべて大谷本人による決断で、両親はそれを尊重したといいます。そのあたりも含め、あくまで“子どもが第一”ということなんでしょう」(スポーツジャーナリスト)

 子どもの興味を見守り、選択を尊重する。これこそが、最も重要な教育法なのかもしれない。

 最後に、大谷や藤井のような「天才を育てる」心得を、児玉氏に教えてもらった(次のページを参照)。これらを参考に、“未来の希望”である子どもと向き合ってみてほしい。

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