■億単位の豪華な舞台セットや衣装
一方、ギャップどころか強烈なインパクトで、世間をアッと言わせてきたのが小林幸子(70)だ。そのエンターテイナーとしての覚悟を、本誌92年8月24・31日合併号の美川憲一との対談で明かしている。億単位ともいわれる豪華な舞台セットや衣装について、
「お金かければかけただけのことはあるって」
リスクを恐れず、突き抜けたことをやることが、次の仕事につながっていったというのだ。
「大がかりな衣装が、テレビゲームの“ラスボス”のイメージであることから、若者にも支持されるようになりました。今では、アニメソングも歌い、ラスボスキャラでの仕事も充実。公式ユーチューブの再生回数は相当なものです」(城下氏)
■『おもいで酒』が売れるまで不遇時代
ただ、そんな小林にも、『おもいで酒』が売れるまでに長い不遇時代があった。歌謡曲の中古レコード蒐集家という一面を持つ、歌手・芸人のタブレット純氏は、こう言う。
「お会いしたとき、僕が持っていた小林さんの下積み時代のレコードを、何枚かお見せしたんです。その中に『青い太陽』という、中学生時代の小林さんが主演したドラマの、主題歌シングルがありました」
手元にないという小林に、タブレット純氏がレコードをプレゼントしたところ、とても喜んだという。
「しばらくして、小林さんからていねいな直筆のお礼状とともに、『幸子米』という新潟のお米が届いたんです。おいしかったですよ」(前同)
■ギャンブルの腕を磨いた瀬川瑛子
瀬川瑛子(76)にも苦節の時期がある。70年の『長崎の夜はむらさき』以降は、15年にわたって売れなかった。
「瀬川さんは、麻雀とパチンコがお好きなんですが、ヒットに恵まれず、全国のキャバレー回りをやっていた頃に、セミプロ級の腕前を身に付けたんだとか」(城下氏)