■人生を変えた大ヒット曲『命くれない』

 そんな人生を変えたのが大ヒットした『命くれない』だが、本誌91年8月19日号で、瀬川はこう語っている。

「ちょうど私生活で別居したとき、それまで悲しいオンナばかり歌ってきたのに、初めて夫婦愛の歌を頂いたんですね(笑)」

 複雑な思いだったはずだが、それを情感込めて歌ったことで、代表曲に仕上げたのだ。

■ブレイクまで時間がかかった川中美幸

 川中美幸(68)もブレイクまで時間がかかった一人だ。1973年、『春日はるみ』の芸名でデビューしたが、不発だった。

「同期デビューには、山口百恵桜田淳子がいます。アイドル全盛期に、地味な演歌を歌う17歳には、出番がなかったんです」(前出の音楽雑誌記者)

 その頃を振り返って、川中は本誌93年3月1日号でこう語っている。

「『新宿天使』という曲名にちなんで、夜の新宿をキャンペーンであちこち歩きましたけど売れなかった。結局、2曲でギブアップして、大阪へ帰って母のやっていたお好み焼き屋を手伝いました」

 その後、再デビューの機会を得て、『ふたり酒』をヒットさせた川中を、「とても気さくで、母親思いなんです」と言う、前出のタブレット純氏は、こう続けた。

「お母様を大阪から東京に呼んだ川中さんは、渋谷で新しく開いたお好み焼き屋さんを任せていました(現在も営業中)。実は、そのお店でライブをやらせていただいたことがあります。最後に川中さんも歌われたんですが、90代になったお母様の手を取り、歌いながら涙を流していたのが印象的でした」

 胸に込み上げるものがあったのだろう。

■坂本冬美は作曲家の猪俣公章と対談

 坂本冬美(56)は、本誌91年2月4日号で、師である作曲家の猪俣公章と対談し、『祝い酒』『男の情話』のヒット以前、レコード店回りをしていた頃の思い出を語った。

「歩いている人の足を止められないのは、私の歌に魅力がないからなのかと思うと、悔しくて泣きながら歌ったこともありました」

 ちなみに、デビュー当時の彼女は、キャンペーンの一環として、本誌編集部を訪問したこともあった。タブレット純氏は、坂本にも自身のコレクションから、珍しいレコードを見せたことがあるという。

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