■池江璃花子は日本選手権で優勝

 渡辺氏からエールを送られた池江氏は19年2月、白血病で入院したが、12月には退院。翌年8月の東京都特別水泳大会で復帰。その翌年の日本選手権水泳競技大会では、50メートルと100メートルのバタフライと自由形計4種目で優勝している。医療関係者も目を見張るほどの回復だった。

「彼女は抗がん剤治療の他に、造血幹細胞移植という新しい治療を受けたそうですが、合併症もきつい治療法ですから、治療中から治療後まで、医師団も一瞬も気が抜けなかったと思います」(医療関係者)

■信頼できるドクターに巡り会えた仁科亜季子

 がん克服は本人の強い意志に加え、医療技術の質も大きく作用する。4回のがんを乗り越えてきた女優の仁科亜季子(70)も、「信頼できるドクターに巡り会えたことが、4度のがんを克服できた理由だと思います」と、ウェブメディアのインタビューで語っている。

「38歳、最初の子宮頸がんのとき、一見、武骨そうな男性の医師が“僕も命がけで闘うけど、君も命がけで、がんと闘ってね”と語りかけたそうです。熱い言葉が彼女を奮い立たせたんでしょうね」(前出の元芸能記者)

■“引き算”だけでない“足し算”

 フジテレビ出身で、現在はフリーアナウンサーの笠井信輔(60)は19年秋、悪性リンパ腫のステージ4と診断された。

「頻尿や排尿痛を感じて泌尿器科を受診すると、前立腺肥大と診断されたんですが、セカンドオピニオンを受けると悪性リンパ腫だったんです」(笠井氏)

 すぐに入院して抗がん剤投与を始めると排尿障害は改善され、全身の痛みも楽になったが、副作用で、だるさや食欲不振に悩まされ、髪の毛も眉毛も抜けた。

「私はがんの標準治療で、医療費も高額療養費制度を利用したんですが、抗がん剤投与後4か月で、医師から完全寛解ですと言われました。ステージ4でも諦めなくてよかったと、つくづく思いました」(前同)

 がん告知を受けると、新しい仕事もできなくなると“引き算”ばかりを考えたが、“足し算”もあることに気がついた。

「SNSを通じて励ましてくださる方もいましたし、家族との時間も取れるようになりました。料理なんか、したこともない高校生の三男が“おばあちゃんに習ってきた”って、昔懐かしい卵焼きを作って持ってきたことも。ちょっと涙が出そうになりました」(同)

 医師や看護師との関わり方も、「受け身でなく、できるだけ自分の体調や要望を伝えることが大切。自分も病気の治療に関与している意識を持つことで、医療者もより高い治療を行える」(同)と気がついたという。

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