盤石を誇った安倍政権に"黄色信号"が。好機とばかり攻め込む野党に呼応して、与党内からも火の手があがった――!!

崖っぷち小渕優子がヒタ隠す
「事務所内情」ボロボロお家騒動


「明治座」(東京・日本橋)への不明朗な観劇ツアーを巡り、経済産業相を辞任した小渕優子氏。
9月の改造人事で「将来の女性首相候補として目玉入閣」ともてはやされたのは、つい2か月前のこと。
その凋落ぶりには驚かされるが、自民党内からは「自業自得」(ベテラン秘書)と冷ややかな声も出ているという。
「優子さんは辞任会見で"後援会の収支報告書の記載には大きな疑問がある"と、まるで他人事のようなセリフを口にした。
今回の事態を招いたのは小渕家の"城代家老"である地元・群馬県中之条町の折田謙一郎町長(辞職)が最大の原因。彼は町長になる前、優子さんの秘書を務めており、やりたい放題だったようだ」(自民党ベテラン秘書)

優子氏の父親である恵三元首相時代、小渕事務所は「強固な秘書軍団」を築いた田中派の伝統を継いで、派閥領袖の秘書を務められる人材を何人も抱えていた。
「当時、古川俊隆(としたか)氏は首相の政務秘書官となり、滝川俊行(としゆき)氏は恵三氏の死去後、優子氏の所属する『平成研究会』(額賀派)の事務局長となった。滝川氏は日歯連の1億円ヤミ献金事件に関わりミソをつけたが、みな事務所、派閥への忠誠心が厚かった」(前同)
ところが、恵三氏の死去後、古川氏らが事務所を去り、代わって実権を握ったのが折田氏だったという。
古川氏らが去っても、しばらくは東京の事務所には氏の薫陶を受けた中堅・若手の秘書が残っていたという。ただ、次第に権勢を振るうようになった折田氏との折り合いが悪くなっていった。
「優子さんは、両者の軋轢が強まっても見て見ぬ振りをしていたといいます。そのため、小渕家譜代の中堅・若手秘書は失望し、自民党や民主党の他の事務所に移り、優子氏の事務所は手薄となっていったんです」(永田町関係者)

野中広務・元幹事長の秘書だった辣腕女性が、野中氏の引退後、小渕事務所を再建するために移ってきたものの、時すでに遅し。すでに折田氏の権力は絶大で、口を挟める状態ではなかったという。
こうして盤石を誇った小渕家家臣団は、内部から崩壊していった。
「額賀派の秘書の間では、9月の内閣改造前から"優子ちゃんの事務所はガタガタだ……"との声が出ていたましたからね」(前同)
恵三氏を官房副長官として支えた新党大地の鈴木宗男代表も、ブログで次のように"折田責任論"をブチ上げている。
〈恵三先生の秘書を務め、現在は他の代議士の秘書をしている方から「折田が責任者であった。これが元凶だ」と聞かされていたが、現実のものとなった〉
先のベテラン秘書も、こう溜め息をもらす。
「優子さんが生え抜きの中堅秘書を"軍師"として置いておけば、こんな事態にはならなかった。折田氏に任せたばかりに、いい加減な書類が作られたんだろう」
東京地検特捜部は、すでに折田前町長に任意で事情聴取を行っており、全容の解明が待たれる。

ときには諫言を辞さない"軍師"がいなかったためか、自民党若手議員からの優子氏の評判はよくない。
ある議員は、こう憤る。
「年配の人には八方美人だが、若手には態度がデカい。まだ40歳そこそこなのに、何様なんでしょうかね」
政治資金収支報告書を見ると、優子氏は父親時代の"遺産"を引き継ぎ、高級レストランでよく食事をしていた実態が浮かび上がる。選挙地盤も盤石で、苦労もせずに重要閣僚の座を手にしたが、足元がまったく見えていなかったようだ。
「今回のケースは利益供与か虚偽記載であり、折田氏だけに責任を押しつけることはできず、優子さんが議員辞職に追い込まれる可能性もある」(前出・秘書)
信頼すべきは誰か――という政治家の"イロハのイ"がわからなかった時点で、議員失格である。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4