酒も飲めない勇退後の孤独な人生…

数々の名勝負を演じた蔦だが、長年の暴飲がたたり、糖尿病を患い、右目がかすみ、両足がしびれ、ノックができなくなり、1992年に引退を表明した。
晩年の蔦は孤独だった。自宅療養中、記者が訪ねてきても面会を拒んだ。
「わしの人生は終わったんじゃ」

野球ができないばかりか、酒も医者から止められ、生きる気力を失った。愛弟子の水野雄仁が訪ねると、ノンアルコールビールの「バービカン」を飲んでいたという。

「"ブン"の痩せた顔を見て、本当に可哀相でした」
蔦が肺ガンで亡くなるのは、それから間もない2001年4月28日だった。
棺には、監督時代に着用した池田高校のユニフォームとノックバット、そして、甲子園の土とツタの葉が入れられた。蔦を乗せた車は池田高校に向かった。"やまびこ打線"を率い、甲子園で一世を風靡した蔦の最期らしく、山あいのグラウンドに大きなクラクションが響き渡った。
(文中=敬称略)

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