再評価・田中角栄「天才政治家の豪快伝説」の画像
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 ここにきて再評価の気運。こんな閉塞した時代だからこそ、清濁併せ呑むような豪傑が必要なのだろうか――。

「私、小学校高等科卒業だ。しかし、君たちは天下一の秀才集団で財政金融の専門家だ。我と思うものはいつでも言ってくれ。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの俺が背負う」 これは、故・田中角栄元首相が大蔵大臣(現財務大臣)に初めて任命された際、官僚を前にブチあげた“伝説のスピーチ”だ。事実、彼はその言葉を貫いた。今、そう言ってくれる上司が、どれだけいるだろうか――。

 その角栄氏は、今で言う中卒から成り上がり、1947年、衆議院議員に初当選。以降、郵政、大蔵、通産大臣などを経て、72年、54歳で首相に就任するものの、『文藝春秋』誌が角栄氏の金脈問題を暴くと、2年半足らずで内閣を総辞職。76年には、いわゆる「ロッキード事件」が発覚し、5億円の受託収賄罪などで逮捕起訴され、その後、有罪が確定する。しかし、その間も永田町に君臨し続け、“昭和の闇将軍”といわれた。金権政治の権化と評されてきたが、ここにきて、そのズバ抜けた行動力や、人心収攬(しゅうらん)の巧みさが、閉塞感が蔓延する現代ニッポンで見直されているのだ。

「今、ちょっとした“角栄ブーム”ですね。関連本は軒並みヒットしています」(大手書店の政治コーナー担当者) 記者時代に角栄氏と交流のあった政治評論家の浅川博忠氏が、こう語る。「角さんというと、全国に新幹線や高速道路、空港を作ったことばかりが取り上げられますが、それだけではありません。1964年に新潟地震が発生した際、倒壊した家屋を目の当たりにした角さん(当時は大蔵大臣)のひと言がキッカケになり、2年後に地震保険が誕生しました」

 地震保険の生みの親でもあると同時に「被災地に対して、素早く緊急予算を組みました」(前同)など、熊本地震の避難生活が長期化する今こそ、「角栄氏のような政治家が求められる」(永田町関係者)のだ。以下、その“豪快伝説”を一挙出しする。

 角栄氏は、72年に日中国交正常化を実現した政治家としても知られる。『田中角栄 相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学』(双葉社刊)の著者である向谷匡史氏は、「日中共同声明発表後、角栄氏と中国の周恩来首相が北京から上海へ移動中の機内でのこと。周首相と歓談していた角栄氏は居眠りを始めました。随行の政府関係者は慌てて、“首相、首相……”と起こしにかかりますが、本人は爆睡状態。一方の周首相は“疲れているんでしょう”と笑って角栄氏を気遣ったそうです。“失態”のはずが、笑いを誘い、親近感を抱かせるところが、彼の人徳だと思います」

 かつての選挙には実弾(現金)が飛び交っていたとされる。自民党幹事長時代の角栄氏は、自派閥のみならず、他の派閥候補にも軍資金を配った。そのやり口に“角栄流人心掌握術”が象徴されているという。「候補者にとって必要なのは、“頑張れ!”のひと言よりは軍資金。しかし、“出してやる”という傲慢な態度で出したら、相手のプライドが傷つきます。そこで、角栄氏は届ける秘書に“どうか納めてくださいと、土下座するくらいの気持ちでやれ。そうすれば金が生きる”と厳命していたそうです」(前同)

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