「(前述の)『文藝春秋』の特集記事は、金脈・人脈・女性問題と、いわば田中角栄を丸裸にする内容でした。しかし本人は、“金脈については説明できるが、人脈については痛い”と言ってました。そして、(女性問題が暴露されたためか)愛娘の眞紀子氏がしばらく口をきいてくれなかったことを“何よりも辛い……”とこぼしていました」(前同)

 その眞紀子氏の「婿取り」の逸話に、次のようなものがある。かつて角栄氏が大臣を務めた財務省(当時は大蔵省)の元官僚が、「あくまでも霞が関で語り継がれているゴシップですよ」と前置きして語ってくれた。「適齢期を迎えた愛娘の眞紀子さんに夫を選ぶことになり、角栄さんは、独り身の“書生”たちを呼びつけ、彼らを並べて脱ぐよう命令したそうです」 それなりに立派なモノを持っている男でないと、眞紀子氏にふさわしくないと考えたのだろうか。恥ずかしがったり縮こまったりしている書生たちの中で、唯一、田中直紀参院議員だけが、堂々とさらけ出して立っていたという。「見れば、なかなか逞しい。角栄さんは直紀さんのアレを指でピンと弾き、“立派なもんだな”とニンマリ笑ったそうです」(前同)

 他に、こんな伝説が。「神楽坂は、午前中と午後とで一方通行の向きが変わるのですが、これも角栄さんが決めたと聞きました」(神楽坂の飲食店従業員) 角栄氏が“目白御殿”から国会議事堂に向かう午前中は西から東へ。神楽坂の料亭に寄ってから帰宅する夜には、方向が逆になる。実際は、「歩道を造ったら車道が狭くなったので、逆方向式の一方通行に変わっただけ」(新宿区関係者)というのが正解だが、交通規制ぐらいは簡単に変えてしまいそうなスケールの大きさが彼にはあった。

「角さんが進めようとした『日本列島改造論』は、地方を活性化させ、安定した雇用や出生率、地域社会の実現を目指したもの。現代に通じる政策で、その意味で先見の明があったと言えます」(前出の浅川氏) 中央と地方の格差や少子化問題で紛糾する現代、角栄待望論もうなずける。「ロッキード事件で角栄氏と対峙した堀田力東京地検特捜部検事(当時)も“田中さんが国民の安全と幸せを第一に考えていたことは確かだ”と評しています」(前出の向谷氏) それが田中角栄という男なのだ。求心力を失いつつある今の首相も、見習うべきところは多いのでは?

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