運輸相、経産相を歴任し、現在、自民党総務会長の重責にある二階俊博衆院議員は、田中派議員として角栄の薫陶を受けてきた。「二階さんは、和歌山県議時代に角さんに会ったときに“お前は次は必ず中央競馬(国政)に出られる男だよ”と言われたそうです。“田中先生、なんで分かるんですか?”と聞くと、角さんは“分かるさ、おれは馬喰(ばくろう)の子だよ。人間見たって分かるんだ”と笑ったといいます」(同)

 二階氏は『新日本列島改造論』の中で、こう語っている。「もし田中角栄が今いたら、新エネルギー資源の獲得に走る。メタンハイドレートの活用も、大胆に推し進めるだろう」 高圧でガスがシャーベット状になった“燃える氷”メタンハイドレートは、尖閣諸島周辺の深海底に大量に存在するといわれ、有効に取り出す手段が確立すれば、日本は一躍エネルギー大国になる。エネルギー外交に奔走した田中ならば、それに目をつけないはずがない、というのだ。

 もうひとり、田中角栄の元でキャリアをスタートさせた大物政治家がいる。防衛相、農水相、自民党幹事長などを務めた石破茂地方創生相だ。石破氏の父・二朗氏は建設省の事務次官を務めたのち、郷土・鳥取の県知事を4期務めた。そして74年、田中角栄に請われて参院選に出馬し、当選。息子の茂氏も父の死後、田中事務所の職員となり、身近でその行動を見てきた。

『新日本列島改造論』では田中に有罪判決が下ったのちの、いわゆるロッキード選挙での逸話が紹介されている。<ロッキード選挙が行われた昭和58年12月、石破は、田中事務所で選挙の応援の日程づくりなどを担当していた。その際に、田中が田中派の総会で、居並ぶ田中派の議員に語った言葉も印象的であった。「おまえたち、おれの悪口を言って、また国会に戻ってこい。“おれは田中派だが、田中は許せない”、そう言って当選してくるんだぞ」 もちろん田中派の議員たちは誰一人として、その選挙で田中の悪口を言わなかった>

 そのように背中を見てきた石破氏は現在、地方創生大臣として、田中の悲願だった地方活性化に注力し、DNAは脈々と受け継がれている。最後に、大下氏の言葉を聞こう。「角さんには、根底に商人の発想がありました。皆がのびのびとビジネスをする、民を重んじる発想です。“生活がすべてだ”という思いがある。今の政治家には、生きた経済が見えていないのではないでしょうか」 “最強のリーダー”田中角栄が遺した方策は、いつか我が国を救うはずだ。

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