「本来、これは上院の別の委員会で取り上げるのが筋でした。しかし、チャーチ氏は当時、大統領選出馬を狙っていたため、知名度を上げて選挙を有利に戦うべく、自らの委員会で取り上げることにしたのです。また、チャーチ氏は31歳までCIA(米中央情報局)の職員だったとされる人物であったため、段ボールの送り主を知っていたはずです。送り主にしても、“チャーチ氏ならば、これを執拗に追及する”ことを知っていたと思われます」

 その後、チャーチ委員会によって、ロッキード社が旅客機トライスターを世界中の航空会社に売り込むために、各国の政府関係者に巨額の金をバラまいていたことが明らかにされる。「当然、全日空も工作対象に含まれていました。ロッキード社は代理店として商社『丸紅』と契約したうえ、“日本の政財界の大物フィクサーだった児玉誉士夫氏を対日工作の裏の代理人として立て、約21億円を政府関係者に支払った”と、コーチャン副会長と元東京駐在事務所のクラッター代表が証言しています」(前出の記者)

 さらに、児玉氏が預かった工作資金は、角栄氏の支援者で豪腕として知られる政商の小佐野賢治氏や丸紅に渡り、そこから当時首相だった角栄氏に5億円が渡されたことが明るみに出ると、政財界を巻き込んだ一大疑獄へと発展。日本の国会でも追及され、次々と関係者が証人喚問の席に立たされる事態となった。

 国内報道は過熱し、検察による異例とも言える急速な捜査の進展もあり、事件の発覚から半年も経たずに関係者が次々と逮捕され、角栄氏も76年7月27日に受託収賄罪および外為法違反容疑で逮捕される。猛スピードで進んだ一連の逮捕劇には、常軌を逸した面が多々あるという。

「“角栄逮捕”のシナリオありきだったわけです。チャーチ上院議員のオフィスに秘密情報が詰まった段ボールが届いた経緯からして、不信極まる。アメリカで火がついて日本側も捜査に乗り出すわけですが、金を渡した贈賄側にもかかわらずコーチャン氏らが罪に問われることはなかった。コーチャン氏の尋問について免責を与えたのは、日本の刑事訴訟法にはない超法規的措置です。さらに、弁護士を立ち会わせ、反対尋問をさせなかった。一方で、角栄氏をはじめとする収賄側だけ逮捕されるというのは、司法もへったくれもない“片八百長”ですよ」(鈴木氏)

 実はコーチャン氏の証言による調書は、最高裁では証拠にならないと判断されている。「それならば、裁判を最初からやり直すのが筋でしょう。そうすれば、これが冤罪であったことが証明できたはずです」(石井氏) 石井氏は、角栄氏が逮捕されてから公務の合間を縫って何度も渡米し、独自に調査を進めている。その中で、キーマンであるロッキード社のコーチャン、クラッター両氏にも接触を試みている。

「両者ともガードが堅く、コーチャンからは“ものを言えば命が危ない”という返答を得るのが精いっぱいでした。クラッターは面会のアポを取りつけたのですが、自宅に行ってみると、ドア越しに“こらえてくれ、口を開いたら殺される”とうめくように言われました」 石井氏は、アメリカで凄腕の弁護士の強力も取りつけている。ニクソン大統領を失脚させたウォーターゲート事件の主任検事を務めたベン・ベニステ氏だ。

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