ベニステ氏は石井氏に、「この事件は発端からしておかしい。確実に国務省(日本の外務省に相当)とCIAの一部がチャーチ上院議員と打ち合わせている」と断言したという。日本の権力側も、これに呼応するように行動した。当時の主任検事だった吉永祐介氏は、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」と打ち明けたという。時の三木武夫首相を筆頭に、政府が全面的に協力し、捜査のお膳立てをしてくれたわけだから当然だろう。

 石井氏はベニステ氏を来日させ、都内ホテルのワンフロアを借り切り作業に当たったというが、なんとベニステ氏のボディガードは銃を携帯していたという。「そんなもの必要ないと言ったら、“米国の国家機密に手を突っ込んだら、CIAにすぐに見つけ出され、抹殺される”と言われ、身が引き締まりましたね」(石井氏)

 結局、ベニステ氏の助力を角栄氏が断ってしまったため、凄腕弁護士のお手並みは陽の目を見なかった。角栄氏の預かり知らぬところで、着々と進む陰謀。では、氏はいったい、どんな“虎の尾”を踏んだのか。

「米国政府は当時、オヤジ(角栄氏)のことを“デインジャラス・ジャップ”と呼んでいたと聞きました。要はアメリカの国益にそぐわない総理ということです。オヤジは愛国者であり、日本の主権と国益を第一に考えていた。中国との国交正常化はアメリカに先んじる格好になったし、エネルギー外交でも従来とは異なる独自のアプローチで進めていた。これがアメリカの国益にそぐわなかったのです」(石井氏)

 アメリカ側に全面協力したのが、角栄氏と対立していた三木政権だった。「ロッキード事件の本質は、日本を属国と見なすアメリカの権力中枢が、ありもしない収賄事件を作り、角栄氏の政敵もコマとして利用して強行した壮大な謀略だったのです。アメリカ側で事件を指揮したのは、当時、急速に存在感を増し、外交を一手に仕切っていたキッシンジャーですね」(鈴木氏)

 キッシンジャー氏はニクソン政権で大統領補佐官、続くフォード政権では国務長官に就任している。高名な在米韓国系女流ジャーナリストの文明子氏は、石井氏に対し、「キッシンジャーに事件の首謀者ではないかと問いかけたら、“オフ・コース(もちろん)”と答えた」と明かしたという。

 83年10月12日、一審判決の公判があったその日、角栄氏は、派閥メンバーらに「今日から楽にさせてやる。安心しろ」と微笑み、東京地検に出かけたという。自身の無罪を信じて疑っていなかったからだ。ところが、予想だにしなかった有罪判決が下され、帰宅した際には“阿修羅の如き形相”だったという。

「アメリカの公文書は作成から25年が経つと、公開の対象となりますが、ニクソン、フォード両政権における米国外交文書で日本に関連する部分に関しては、いまだ“機密解除を検討中”となっています。日本の外務省に問い合わせたら、キッシンジャーの指示で25年が50年に延長されたと聞きました……。これがオープンになったとき、オヤジの事件が冤罪であったことが明らかになるでしょう」(石井氏)

 “不世出の政治家”田中角栄は、こうして葬りさられたのだ。

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