59年にコントでブレイクしたのは脱線トリオの由利徹、八波むと志、南利明。由利の「チンチロリンのカックン」は、「オシャマンベ」と並ぶヒットに。

 寄席や演芸場から人気者が誕生する一方、ジャズ畑からもスターが現れる。61年に『スーダラ節』が大ヒット。スターダムに駆け上がったのが、ハナ肇とクレージーキャッツ。

 日本テレビのバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』では、植木等の「お呼びでない?お呼びでない……こりゃまた失礼いたしました!」がお茶の間に炸裂した。谷啓は「ガチョーン」「ハラホロヒレハレ」など、ミュージシャンならではの擬音ギャグを量産。リーダーのハナ肇も、『巨泉×前武のゲバゲバ90分』(日本テレビ)でヒッピーに扮しての「アッと驚くタメゴローッ」が大当たりとなるなど、スタジオ狭しと大暴れ。

 昭和文化研究家のミゾロギ・ダイスケ氏が説明する。「クレージーは、音楽や映画のヒット作を連発し、それが後年、CDやDVD化されました。当時を知らない世代のファンも多いんです」

 さらに『シャボン玉~』では、名物コント「キントト映画」にて、なべおさみ扮する監督が助監督の安田伸を「ヤスダーッ!」と叫んでメガホンで引っぱたくギャグを忘れちゃなるまい。

 また、構成作家から出演者に転じた青島幸男が「青島だァ!」と見得を切るのも革命的だった。「まだテレビ制作が暗中模索の時代、裏方が画面に露出するのは斬新でした。青島さんは放送作家、タレント、俳優としてだけではなく、映画監督、小説家としても評価され、国会議員、都知事にもなった。不世出のマルチ人間と言えるでしょう」(ミゾロギ氏)

 当時、日曜の夜は6時から『シャボン玉ホリデー』を、6時半からが関西発のコメディ『てなもんや三度笠』(朝日放送)を見るのがお笑い好きの常識。藤田まことの決め台詞「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」、「耳の穴から手ェつっこんで奥歯ガタガタいわしたろか」が全国区になり、財津一郎はエキセントリックなハイトーンで「ヒッジョーにキビシィー!」と叫んで人気者になった。白木みのるなど喜劇人相手に、役者陣が芸人と拮抗するギャグを放っていたのだ。

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