一方、63年スタートの『大正テレビ寄席』(NET)には人気芸人が続々登場。司会の牧伸二はウクレレ片手に時事漫談で笑わせ、「♪あ~あんあ、やんなっちゃった、あ~んあんあおどろいた」と歌った。獅子てんや・瀬戸わんやは「ピッピッピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガァガァ」を何度も繰り返し爆笑を取った。

 てんぷくトリオの三波伸介は「びっくりしたなぁ、もう!」。横山ノック、フック(青芝フック)、パンチ(上岡龍太郎)の漫画トリオは「パンパカパーン、今週のハイライト」。唐草模様の風呂敷を背負った栃木訛りの東京ぼん太は「夢もチボーもない」と、“田舎っぺキャラ”が大ウケした。

「最近では、つぶやきシロー、U字工事などもいますが、いつの時代も訛りがウリの人気芸人が出てきます。もっとも、“頑張れ、強いぞ、ぼくらのなまか ~”の東八郎さんも訛ってましたが、あれはキャラ。東京・浅草の出身です(笑)」(演芸プロデューサー)

 同じく浅草芸人で、走ってドツいて飛び蹴り連発、テレビのフレームに収まりきらない動きで、昭和40年代に全国区となったのがコント55号。萩本欽一は「なんでそうなるの!」と“欽ちゃんジャンプ”し、坂上二郎は両手を飛行機に見立てて「飛びます! 飛びます!」で、お茶の間を爆笑の渦に巻き込んだ。

「野球拳で人気を呼んだ『裏番組をブッ飛ばせ!!』(69年、日本テレビ)は低俗だと叩かれましたが、文字通り裏番組のNHK大河『天と地と』を猛追する番組に」(ミゾロギ氏)

 一方、テレビドラマを経て、69年に映画第1作がお目見えしたのが渥美清の『男はつらいよ』。「それを言っちゃあおしまいよ」など、シリーズを重ねるたびに、寅さん語録が日本中に浸透した。「シリーズの終わり頃はすっかりいい人になってしまいましたが、1作目を今、見直すと、寅さんが意外とワルなのでビックリします(笑)」(映画評論家)

 のちに最高視聴率50.5%を記録するお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS)のスタートも69年。生まれたギャグは数知れない。加藤茶の「カトちゃんペッ!」「やったぜカトちゃん」「ちょっとだけよ、あんたも好きねぇ~」。志村けんの「イッチョメイッチョメ、ワーオ!」(『東村山音頭』)、「カーラース、なぜ鳴くの~カラスの勝手でしょ~」ほか、もはや多すぎて紹介しきれない。

 また、冒頭でも触れたドリフの旧メンバー・荒井注による「なんだバカヤロウ!」は、まさに逆ギレ系ギャグの草分けだった。リーダーのいかりや長介は『ドリフ大爆笑』(フジテレビ)での決め台詞「ダメだこりゃ」が代名詞だ。

 この時期、てんぷくトリオの一員だった伊東四朗が、植木等の付き人だった小松政夫とのコンビで頭角を現す。皮切りは75年スタート『笑って笑って60分』(TBS)から。伊東の「ニン!」と、小松の「ズンズンズンズン、小松の親分さん」でお茶の間の人気者になったが、さらに『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET)では、伊東率いる電線軍団が『電線音頭』を熱唱してヒット。続く小松が『しらけ鳥音頭』を歌い、さらなるヒットを飛ばした。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4