演芸界からは、アフロヘアの松鶴家千とせが「わかるかなぁ~、わかんねぇだろうナ」。夫婦漫才の春日三球・照代が「地下鉄はどっから入れたんでしょうねえ、それ考えるとまた眠れなくなっちゃう」。星セント・ルイスが「田園調布に家が建つ」で売れっ子に。

 そして1980年、空前の漫才ブームが到来。B&Bの「もみじまんじゅう~」。ツービートの「コマネチ」。横山やすし・西川きよしの「メガネ、メガネ」、爆笑女王の今いくよ・くるよの「どやさ」など、テレビは漫才だらけになった。

 その漫才ブームから誕生した『オレたちひょうきん族』(フジ)でヒットギャグを連発したのは明石家さんま。「さんま師匠の“アホちゃいまんねん、パーでんねん”のフレーズは、月亭八方師匠の実の息子・月亭八光さんが小学生だった当時に言っていたのを、さんま師匠が5000円で買い上げて使ったという伝説があります」(前出の放送作家)

 そして時代はバブルに突入。82年に『笑っていいとも!』(フジ)スタート。なんでもOKの浮かれた気分を広めるかのようにタモリは「いいとも!」を定着させた。所ジョージの「す・ご・い・で・す・ネッ」と片岡鶴太郎の「プッツン」は流行語にも選ばれた。

 とんねるずの石橋貴明は87年スタートの『ねるとん紅鯨団』(フジ)で、「大、ドンデン返し!」と絶叫。そしてギャグの申し子・志村けんが「だいじょうぶだぁ」と発したあたりで昭和は幕を降ろした。「後世に“ウケ”継がれるギャグの遺産が、昭和の時代には満ちあふれていたと言えます」(放送作家)

 現代社会に蔓延する閉塞感を打破するためにも、平成の爆笑王に期待したい!

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