石浦 普通なら十両昇進は難しいところですが、ラッキーでした。この世界に入った以上、関取になるのは第一目標ですから、本当にうれしかったですし、声をかけていただいた横綱、力士になることを反対された親父にも、まずは恩返しができたと思いました。

――四股名の候補はいろいろあったと思いますが、本名の石浦で相撲を取り続けることになりましたね。

石浦 先ほどもちょっと触れたように、石浦という姓はわりと珍しい苗字なんです。親父は石川県の出身ですが、昔、石浦家は加賀の一向一揆で織田軍に敗れて各地に散らばったそうで、今は石川、富山、京都などに「石浦さん」がいるそうです。金沢には石浦神社もあるんですよ。そういう歴史を踏んでいるので、全国の石浦さんは結束が固いんです。ボクが十両に上がって、「石浦」という四股名がテレビなどで流れるようになったことで、石浦さんたちが集まって、「全国石浦会」が結成されたというわけなんです。

――四股名には、全国の石浦さんの思いが込められているということですね。

石浦 ハイ(笑)。十両に上がったとき、周囲の人たちは、「すぐに(十両から)落ちるだろう」って思っていたみたいです(笑)。でも、宮城野部屋には、横綱・白鵬関という角界の第一人者がいます。37回の優勝を果たし、前人未到の7連覇も達成した瞬間を、近くでずっと見させていただいたわけですが、横綱の稽古、行動のすべてが、ボクにとって勉強になるんですね。

 以前、横綱が「いつか山口と石浦と3人で、横綱土俵入りをしたい」と言ってくれたと聞きましたが、つまり、それは「早く十両を卒業して、幕内に上がってこい」という横綱からのメッセージだったんです。

――念願が叶って、九州場所では横綱土俵入りの露払いを務め、2日目からは快進撃が始まります。

石浦 新入幕が決まったときに、考えていたことがあったんです。それは、初めての懸賞金を、横綱にプレゼントするということ。臥牙丸関に勝った2日目、宿舎に戻った横綱に懸賞金を渡したら、横綱がすごく喜んでくれて……。そうしたこともあって、3日目からは、自分の相撲が取れるようになりました。

――好調の原因は、どこにあったんでしょうか?

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5