その琴櫻に次ぐ、31歳5か月の高齢で横綱昇進したのは、第57代横綱・三重ノ海である。初土俵から横綱まで97場所は最多で、体格や腕力に恵まれず、新十両になるまで34場所もかかっている。27歳11か月で大関昇進後も、ケガが長引き、関脇に転落。大関から転落して返り咲き、横綱になったのは、大相撲史上、三重ノ海ただ一人である。

「ドラマチック? そうかもしれないね。序二段でつまずいて、大関でもモタモタしていた私が横綱になるなんてことは、誰一人思っていなかっただろうし、自分自身もなれるなんて思っていなかったんだから」

 引退後は武蔵川部屋を興し、1横綱(武蔵丸)3大関(武双山、出島、雅山)など多くの関取を育てた。「弟弟子や自分の弟子を含めた若い子たちを見てきて言えるのは、すぐに諦めてしまう子が多いということです。途中で逃げる子を何人も見てきましたけど、そうじゃなくて、今はつらいかもしれないけども、今を乗り越えて我慢していけば、その先にすごく良いことも、うれしいこともいっぱい待ってるんだよ、と私は言い続けてきたつもりです。目いっぱい努力していれば、どっかでちょっとは神様も味方をしてくれるかもしれない。私はそう信じています」

 では次に、稀勢の里の先代師匠、第59代横綱・隆の里の“ON”にまつわる発言を聞いてみよう。「長嶋選手がホームランを打つ。そうすると、王選手が一番に迎えに行く。王選手がホームランを打つと、長嶋選手が一番に迎えに行く。お互いに首位打者とかホームランの数を競い合っているその時に、ダッグアウトから飛び出していく。少年時代の僕は、そういうシーンを見て、“これはウソだろう。間違いだろう?”って思っていたんです」

 隆の里少年のクールな視線は、半生と無関係ではない。17歳で父、18歳で妹を失い、自身も20歳で糖尿病を発症したのを皮切りに、扁桃腺炎や足のケガ、ヒジの手術など、現役時代に25回も入院している。「でも、後になって分かったんです。人を恨むとか、そういうレベルを超えた人たちっていうのは、それができるんだってことがね。ホームランを打ったら、握手を求めて、肩を叩いて、“ようやったなぁ、コイツ”みたいな、そういう賞賛・賞美するのはいいものだなぁって、本当に思いました」

 ケガや病気に打ち勝ち、横綱に昇進したのは30歳9か月のときだった。東北出身で苦労人のイメージから、当時、人気だったNHK朝ドラ『おしん』になぞらえて、“おしん横綱”のニックネームで親しまれた。

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