それがうまくいかなかった場合は、都庁に全責任をなすりつける腹だという。「石原さんは、“最終的に(都の)幹部がきて、『汚染の問題が言われているけど大丈夫なのか』と聞いたら、『今の技術をもってすれば大丈夫です。ぜひご裁可お願いします』と。オレの大きなハンコを持っている課長が押した。(豊洲は)やっぱり都庁の責任”と発言しています」(前同)

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。「たしかに豊洲に関わった人間は非常に多い。最終的な責任者は石原氏でしたが、具体的なプロセスの細部までは把握していなかったかもしれません。まだ名前が挙がっていない関係者がたくさんいるのです」

 石原氏はこうした文脈を利用して、逃げ切ろうとしているのだ。「彼は都知事時代に親しい人に対し、“都庁ってのは恐ろしいよ。まさに伏魔殿だ”と、他人事のように話していたといいますからね。元来が“都庁=悪”論者なのですよ」(前出の民進党都議)

 世間には堂々と証言した印象を与えておいて、その実、責任をうやむやにしたいのが石原氏の本音のようだが、そうは問屋が卸さないという。元民主党衆議院議員の川内博史氏が言う。

「豊洲移転を決定した行政のトップとしての責任は、免れません。石原さんは豊洲決定に際し、わざわざ築地を視察し“汚い、危険、狭い”と発言したうえで、豊洲に舵を切ったのです。ご存じのように、築地は法的に適合している市場です。にもかかわらず、発言で築地に悪いイメージを植え付けました。豊洲市場用の土地を都に売却した東京ガスのとの間に何かあったのではないか……と勘繰りたくなるほど、性急な方向転換でしたね」

 川内氏によれば、石原氏が指揮した豊洲移転の政策に関連して、土壌汚染法(土対法)にも疑惑があるという。土対法は02年5月に法案が通過し、翌03年2月に施行されているのだが、当初、汚染が分かっていたはずの豊洲が同法の適用外だったのだ。

「法案の国会通過直前に中央環境審議会がまとめた『報告書』ではなかった条項(附則三条・経過措置)が、国会に提出された法案になった時点でなぜか追加されていたんです。これは『この法律の施行前に使用が廃止された有害物質使用特定施設に係る工場又は事業場の敷地であった土地については、適用しない』という“抜け道”で、それが意味するところは、“豊洲は調査せずに市場として使用できる”というものなんです」(川内氏)

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