井崎が16歳でコーヒーの世界に足を踏み入れたきっかけは、博多でハニー珈琲というコーヒー店を経営している父親の言葉だった。バドミントンのスポーツ特待生で入学した高校を1年で中退し、やさぐれていた井崎に、父はこう声をかけた。「お前がやる気あるなら、バリスタやってみるか」

 バリスタという言葉の響きに「これはモテるな」と感じた井崎は、父親のもとで修業を始めた。もともと、自分がやると決めたことに対してはとことん打ち込む性格だった井崎は、バリスタの仕事を熱心に覚えた。

 そして1年後、WBCの予選も兼ねているジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ (JBC) に17歳で初めて出場すると、参加160人中24位に入った。この時、優勝者は世界大会に出場できると知った17歳の少年は人知れず、壮大な野望を抱いた。「いつか、世界王者になりたい」

 世界を意識すると、自分に足りないモノが明確になった。コーヒーはグローバルな飲み物だから、教養が必要だ。猪突猛進型の井崎は怒涛の勢いで勉強を始め、高卒認定試験、そして受験を突破し、法政大学国際文化学部国際文化学科に合格した。

 2009年、井崎は大学入学と同時に、父親の紹介で小諸にある丸山珈琲の小諸店で働き始めた。平日は、学校に通いながらアルバイトをしてお金を貯める。そして金曜の夜から長野に入り、土曜の朝イチから日曜の夕方までバリスタの仕事をするというハードなスケジュールを自らに課した。交通費も滞在費も自費だったから、完全に赤字だったという。そこまでした理由は、ひとつ。

「丸山珈琲は日本では業界のトップで、豆の品揃えもクオリティも、ここほどクオリティが高いところはほかにありません。日本人が世界で優勝するためには、最高の素材と最高の環境があるここで修行するしかないと思いました」

 さらに世界大会で勝つには英語が必要だと、1年間、イギリスのシェフィールドに留学。学校に行かず、現地の友人たちと飲み歩くことで生きた英語を学び、帰国後、再び丸山珈琲で研鑽をつんだ。そうして大学4年生のとき、JBCで史上最年少優勝を飾る。

 9カ月後、井崎はオーストラリアのメルボルンで開催されたWBCの舞台に立っていた。WBCは、15分間の制限時間内にエスプレッソ、カプチーノ、オリジナルドリンクを4人の審査員に提供し、味、清潔さや創造性、技術、プレゼンテーション能力などが評価の対象になる。コンセプトは「自分の人生の中で最も大切なお客様をおもてなしする」。豆の選択、熟成具合、焙煎時間などは出場者に委ねられており、さらにプレゼンテーションの構成を考え、完璧に記憶する必要もある。

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