初めて世界に挑んだ井崎は、唇をきつく噛み締めていた。セミファイナルに進めるのは上位12名。井崎はギリシャの選手と同点の12位だったが、「同点の場合はエスプレッソの点数で評価する」という大会の規定で0.5ポイント劣り、13位となった。

 井崎は荒れた。「0.5点ってどれくらいの差かというと、カップに一滴の液だれがついているか、いないかぐらいの差なんです。全精力を傾けて準備して0.5点差で負けて予選落ちじゃ、もう死んだ方が良いと思いましたね」

 負けが決まった瞬間は、怒りと悔しさと恥ずかしさと情けなさと申し訳なさで、頭がいっぱいになった。しかし一晩たつと、生来の負けず嫌いがムクムクと起き上ってきた。「このままじゃ、終われない」

 井崎は頭を冷やすために、「何がダメだったのか」を、思いつく限り書き出した。それを眺めていて、ふと敗因に気づいた。一番足りなかったもの、それは「自分」だった。

「大会まで目の前のことで精一杯で、言われたことをこなすだけのイエスマンになっていました。でも、本当に感動する時って、その人が心から素晴らしいと思っていることを聞いた時ですよね。その言葉が人の心を揺さぶる。僕にはそれが足りなかった」

 井崎は、覚悟を決めた。「これからは、自分が腹の底から正しいと思えることだけをやろう。そのためには手段は選ばんぞ。無視もするし、ケンカもするし、誰から嫌われようが構わん。そして、来年のWBCに戻ってきてやる」

 帰国した井崎は、WBCのことだけを考えて時間を過ごすようになった。その過程で出場したJBCで2連覇を果たし、「タイトルを狙うのではなく、自分が信じたことを精いっぱい表現する」スタイルに確信を深めた井崎は、翌年の世界大会に向けて、前回とは全く違う自己流のアプローチで準備を始めた。

「それまでは練習量だけで勝負していたんですけど、質と量がダントツになれば、ダントツの結果しか出ないじゃないですか。だから質を徹底的に意識して、前年の世界王者、ピート・リカータにコーチを頼んで、彼の言うことしか聞かなかった。なぜなら彼は勝ち方を知っているからです。さらに、ベストパフォーマンスを出すためには自分の精神をコントロールする必要があるので、メンタルトレーニングにも力を入れました」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4