――ご自身も、ふくらはぎの負傷を抱えての初日になってしまったんですね?

嘉風 そうです。ふくらはぎは大丈夫なのか? その不安が大きくて、そのおかげで冷静になれたのかもしれません。足をあまり使えない中、自分が思っていた以上の相撲が取れました。僕の場合、理想の形、理想の攻め方というのは、あえて作らないんですよ。相撲内容に関しては「でたとこ勝負」。言ってみれば「アドリブ相撲」なんです(笑)。

 嘉風雅継、35歳。小学4年のときに、地方巡業で若花田(当時=のち横綱・若乃花)の胸を借りたことがキッカケで本格的に相撲を始め、日体大3年時に、世界相撲選手権日本代表に選出、さらにアマチュア横綱に輝く。平成16年、尾車部屋に入門し、26年夏場所、32歳の年齢で新小結に昇進。先の夏場所では、7場所ぶりに小結に復帰した“角界版・中年の星”である。

――アマ横綱のタイトルを引っ提げて、入門から2年で幕内に昇進。けれども、幕内に定着してからは、幕内という地位に満足してしまっているかのような印象がありました。

嘉風 まさに、そうでしたね。20代後半の頃は「最低、幕内にいられたらいいかな」くらいの気持ちでした。自分が大学4年生のときに味わった“燃え尽き症候群”的な時期だったんですよ。

――燃え尽き症候群?

嘉風 ハイ。僕は大学3年の最後に大きなタイトル(アマチュア横綱)を獲って、幕下15枚目格付け出しの資格を得ましたが、その時点でプロには進みませんでした。でも、その「アマ横綱」の冠が重たくて、4年のときは、「横綱相撲を取らなければならない」と考え過ぎていた。それで、思うような相撲を取れなくなってしまったんです。

 付け出し資格は(全日本相撲選手権当日から)1年で失効したため、序ノ口から相撲を取ったんですが、僕らの学年は、里山(現・十両)、豊真将(現・立田川親方)、木村山(現・岩友親方)、大岩戸(現・幕下)とか、プロに進んだ人がたくさんいました。だから、入門後は「同級生には負けたくない!」という気持ちが強くて、「早く十両に上がりたい」「幕内の土俵で相撲を取りたい」と、必死になっていたんです。でも、実際に幕内に定着してからは、そこに落ち着いたというか、一部報道で「サラリーマン力士」などと言われてしまうような状況だったんです(笑)。

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