■浅草時代の師匠「深見イズム」

 たけしが貫くこうした美学は、浅草時代の師匠である深見千三郎氏(故人)の影響が強いといわれている。「深見師匠は、“伝説の浅草芸人”と呼ばれた軽演劇の名人。たけしさんは、浅草の“フランス座”で、エレベーターボーイとして働くようになり、芸人の道をスタートさせるんですが、その当時、フランス座で幕間のコントをやっていたのが深見師匠だったんです」(演芸誌記者)

 深見氏は座長を務めていたこともあり、いつもピリピリしていて近寄り難い存在だったようだが、なぜか、たけしとはすぐに打ち解けたという。「深見師匠はすぐに、たけしさんの才能を見抜き、コントをやらせるようになります。相方のきよしさんとも、ここで出会っています。師匠の口癖は“バカヤロー”。“タケ、どこ行くんだよ、バカヤロー”といった具合です。現在のたけしさんの口癖や芸風は、深見師匠にソックリだといいますからね」(前同)

 たけしが唯一“師匠”と仰ぐ深見氏。師弟の間には、こんなエピソードも。「あるとき、深見師匠とたけしさんが夕食に行くことになり、たけしさんが“師匠、寿司行きましょう”と誘ったそうです。すると、師匠は財布を見ながら、“今日は金がないんだよな”と渋った。でも、師匠の財布には5万円入っている……。たけしさんが、“師匠、金あるじゃないですか”と言うと、師匠は“タケ、バカヤロー、飲み食い代はあっても、板さんに払うチップが足んねーんだよ”と(笑)。それくらい、粋な芸人だったそうです」(同)

 自分が抜けたあとの事務所の困窮を心配して、当座の運転資金を置いていったのも、たけしが知らずに血肉としている“深見イズム”だったのかもしれない。客員編集長を務める東京スポーツ紙上では、「辞めるスタッフの退職金を払うと結構な額になるうえ、置いてきた分で軍団が“ちゃんとやる”って言ってくれた。それでやれなきゃ、オレの責任じゃないだろってことで独立させてもらった」と語った、たけし。“君子豹変”の裏には、独自の美学があったようだ――。

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