■映画『陽暉楼』『吉原炎上』『肉体の門』が代表作

――仁支川さんの出演映画では、『陽暉楼』『吉原炎上』『肉体の門』の3本が代表作といっていいと思いますが、いずれも五社英雄監督の作品ですよね。1992年に、働き盛りの62歳で亡くなられましたが、どんな監督だったんですか。

仁支川 自分で言うのもナンですけど、私ってホントにテストが少ない女でね。たとえば『吉原炎上』で、私が1人で真っ赤な布団部屋にいるシーンがあったでしょ。

――はい。とてもインパクトがありましたね。

仁支川 あれ、1回テストの1回本番だったの。普通は何回かテストをやって本番なんだけどね。五社監督は、私がダラダラやるのが嫌いなのを知っているんですよ。舞台出身の二宮さよ子さんの場合は、お芝居のクセを抜くために30回くらいテストを重ねたらしいんですけどね。

――女優の資質を見抜く力がすごかったんですね。

仁支川 『肉体~』のときは根津甚八さんとのカラミがあって、シャイで緊張している私の気持ちをほぐそうと、監督はお酒を勧めてくれてね。

――優しい方ですね。

仁支川 板張りの上での撮影だったんですけど、ぶつかると痛くて(苦笑)。もう色気がどうのなんて言ってられない。アレはスポーツ、戦いでしたよ(笑)。

――そんな事情があったとは(笑)。

仁支川 『肉体~』のラストの爆破シーンでは、私も五社監督もお互い、体調がちょっと優れなかったんです。ロケ・セットも琵琶湖で寒くて。セリフの言い回しが納得いかなかったけど、あまり粘ることができなくて。そこは今でも悔いが残っています。 

――あの壮絶なシーンの撮影の裏にはそんなことがあったんですね。そもそも五社監督は、『人斬り』とか『闇の狩人』とか、ダイナミックな殺陣や男性キャラを描くことに定評がありましたが……。

仁支川 女優をキレイに撮ってくださる監督でもありました。赤や黒といった、女性が美しく魅える色をけっこう使ってましたね。

――仁支川さんが写真集のお仕事をされていたのは、この頃でしたね。

仁支川 はい。30~35歳までの間で私の人生の記録としていいかなって。体が美しく見える35歳まで、と決めていたんです。だから、それ以降はやっていないの。今でもお話はいただくことがあるけど、これだけは絶対に譲れないんですよ。

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