ビートを刻め

 元祖アイドル・南沙織以来、沖縄は有数の女性アイドル歌手の出身地である。仲間由紀恵が女優としてブレークする以前に東京パフォーマンスドールに一時所属していたことなどは、沖縄出身女性アイドル歌手の層の厚さを感じさせるエピソードだ。

 そしてその歴史は、「沖縄アクターズスクール」の存在抜きに語ることはできない。MAXやSPEED、満島ひかり(そして三浦大知)のいたFolder、知念里奈などはすべてこの養成スクール出身だ。そしてその先駆けとなったのが、安室奈美恵であった。

 設立者のマキノ正幸が回想するところでは、10歳の安室奈美恵は一目見た時からモノが違っていた。「ふっと身体を揺らすだけで、もう違う。普通の子なら、身体を動かすと、脚もスカートのすそも同じ方向に揺れる。ところが、その少女は、腰にタメを作って自然に身体をひねるから、スカートのすそがひるがえって、身体にまとわりつくような動きになる」(マキノ正幸『才能』)

 スクールのレッスンは、まず「下半身でビートを刻むことを徹底的にたたき込む」ことから始まる。「沖縄アクターズスクールでは、「型」は教えない。踊りは「型」を見せるものではなく、連続した動きを見せるものだ」(同書)

 その方針は、実は歌を大切にするからでもある。「ビートを踏むときに頭を動かすな」ともマキノは教えた。それを完璧にこなすのは実はとても難しいことだが、踊りながら歌うためにはそうしなければならない。マキノは「ダンスはあくまでボーカルを助けるためのもの」と考えていた(同書)。

 昭和の女性アイドル歌手も、「歌って踊る」存在ではあった。だが安室奈美恵以降、「歌って踊る」ことの意味合いは180度と言っていいほど変わった。

 そこにあるのは、「振付」と「ダンス」の違いと言えるかもしれない。

 昭和のアイドル歌手の踊りは「振付」である。花の中3トリオにせよ松田聖子にせよ、あらかじめ決められた身振りや動きを踏み外すことはない。マキノ正幸の言い方だと、「型」である。それは誰かに教えられたままにやっている、基本的に受け身のものである。

 それに対して安室奈美恵の踊りは「ダンス」だ。自分の身体に刻み込んだビートをベースにして「連続した動き」で自らの内にある思いを表現しようとする。それは受け身ではなく、主体的な行為だ。

 そのとき、女性アイドル歌手の歴史において「歌い踊る」ことの意味は書き換えられた。歌と踊りで自分自身を表現する安室奈美恵は、私たちに強烈なインパクトを与えた。

 有名な話だが、彼女のライブではMCがない。トークがそれほど得意ではないということもあるのだろう。だがそれ以上に、安室奈美恵にとってライブとは歌い踊る、そのことに尽きるものだからに違いない。

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