「再生」の場としてのライブ

 とにかく安室奈美恵はいつもシンプルだ。ライブの意味について聞かれた際の答えにも、そんな一面が垣間見える。「コンサートは唯一ファンの皆さんと交流できる場所」「今日一日いやなことがあったけど、このライブ見終わったあとはなんかすごいスッキリしたとか、明日から頑張ろうって元気湧いてきたとか、そういうふうに思ってくれるような(略)コンサートができればいいなと思いながらここ何年もやっている」(日本テレビ『namie amuro Final Space』)

 この彼女の答えから分かること、それはライブがファンにとって、そしておそらく安室奈美恵自身にとっての「再生」の場だということだ。そしてその背景には、彼女とファン、特に同じ女性ファンとのあいだに長年のあいだ育まれてきた特別な関係性がある。

 安室奈美恵の人気は音楽面に限ったことではなかった。茶髪に細眉、小麦色の肌、ミニスカ、ブーツという彼女のファッションを真似た十代のギャルが街中にあふれ、「アムラー」と呼ばれたのはよく知られた話だ。

 1977年生まれの安室奈美恵がブレークするきっかけになった曲『TRY ME ~私を信じて~』が発売されたのは、1995年1月25日。つまり、阪神・淡路大震災発生の約1週間後である。

 この連載でも以前にふれたが、1995年は、この後3月に地下鉄サリン事件が起こるなど時代の変わり目になった年だった。ただ単に大きな災害や事件があっただけでなく、それまで当たり前に続くと思っていた日常が足元から崩れるような感覚を私たちは味わった。そしてその結果、誰もが自分の生き方をもう一度見つけなければならないと思い始める。家庭や学校に収まらずストリートに飛び出したギャルという存在は、そのひとつの表れだったといまになって思える。

 安室奈美恵が世に現れた年は、そういう年であった。だから若い女性たちにとって「アムラー」であることは、ファッションだけでなく生き方を選ぶことでもあったのだ。

 それは必ずしもおしゃれにかっこよく生きることではない。いや、あらかじめ敷かれたレールのない分、苦労も多かったはずだ。安室自身、20歳での結婚、そして出産。さらに離婚した後はシングルマザーとして生きることになった。ファンはそんな彼女の順風満帆とは必ずしも言えない生き様を見守りながら、一方でそれぞれの「ポスト1995」を必死に生き抜こうとしてきた。

 そのときダンスは、安室奈美恵からファンに向けた最大のメッセージになった。日々味わう挫折や苦労から解き放ち、再生するきっかけを与えてくれるもの。それがダンスにほかならない。カメラのカット割によって制約されるテレビではなく、ダンスする彼女の姿を思い思いの視点から目に焼きつけることのできるライブだからこそ、ダンスの持つ真のパワーをファンは歌とともに体感することができる。

 こうしてライブは、安室奈美恵とファン一人一人にとっての特別な場になったのである。

平成アイドル水滸伝

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