■渡邉恒雄の怒りを買ったゴジラ松井

 しかし実際の事情は少々異なるという。驚くことに、そもそも巨人軍の内部では、当初、松井監督の可能性はなかったというのだ。話は、2002年の松井の“メジャー移籍”までさかのぼる。「当時、巨人としては、松井をFAでメジャーに行かせることは絶対に避けたかった。なので、メジャー移籍の意思を固める松井に対し、原辰徳監督(当時)や長嶋さんをはじめ、あらゆる説得交渉が進められたんです」(球界関係者)

 その中心となっていたのは、渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆(92)だった。「最後はナベツネさん自身が出馬し、巨人監督の約束手形を切って、引き止めようとしたそうです。それでも松井の決心は、まったく変わりませんでした」(同)

 監督手形までソデにした松井は、ナベツネ氏の怒りを買ってしまう。結果、巨人から松井監督の線が消えてしまったのだという。そして、これには“意外な証人”も存在する。「それは王貞治ソフトバンク会長(78)です。まだメジャーに松井がいた頃、王さんが旧知の記者に“松井の巨人監督はないよ。ナベツネさんが怒っているから”と話していたそうなんです。この時点で、松井監督の目がなかったのは確実でしょうね」(スポーツ紙記者)

 しかし、“監督NG”の状況は、松井の現役引退を境に一変。巨人軍の監督人事について、ナベツネ氏の口から“松井”の名前が出るようになったのだという。「担当記者の囲み取材の中で、“ポスト原”の有力候補として、松井の名を挙げるようになったんです。まず原監督の下で帝王学を学ばせて、それから監督就任というのが、ナベツネさんの構想でした」(巨人番記者)

 激怒していたはずのナベツネ氏が、“松井監督構想”を公言。ここから巨人のラブコールは本格化していったようだ。そして“松井監督誕生”へ向けて、大きく舵が切られたのが2015年。契約満了を迎える原監督の後任として打診されたのだ。「当時の堤GMが密かに渡米し、松井に監督要請をしたそうです。しかし松井は、これを固辞。堤GMは、“松井が受けなれば、順番を逆にして、由伸を監督にするしかない”と、後輩の名前まで持ち出して説得したといいます」(前同)

 当時、高橋由伸はまだ現役選手。監督就任となれば、当然現役続行は難しくなる。「それでも松井は受けなかった。“順番なんて気にしないでください。彼には務まりますよ”と、由伸を推したそうです」(同)

 結果、由伸は現役引退し、巨人の監督に就任。現在に至るというわけだ。

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