ももクロのプロレス的「全力」

 平成は、アイドルにとってテレビではなくライブが活動の中心になった。そのアイコン的存在がももクロであることは間違いないだろう。

 2008年に結成されたももいろクローバーは、メジャーデビューするまで長い“下積み”があったことで知られる。代々木公園などでの路上ライブからスタートし、やがて6人体制が固まるものの、なかなか観客が集まらず苦労した。だがレコード会社の移籍やステージ演出の工夫を重ねるうちに人気も上昇。その間、早見あかりのグループ脱退、それにともなう「ももいろクローバーZ」へのグループ名変更などを経ながらも、2012年には日本武道館、2014年には女性グループとしては初となる国立競技場での公演を実現する。

 そんな彼女たちのライブについて回るのが「全力」というワードだ。ももクロのパフォーマンスは手を抜くことなど一切なくいつも「全力」。その姿にいままでアイドルに興味がなかったようなひとたちまでが惹きつけられた。女性や子ども、はたまたお年寄りまでがライブに駆けつける。ももクロはそんなアイドルになった。

 なかでもコアなファンが「モノノフ」と呼ばれているのはよく知られた事実だろう。“アイドル戦国時代”と言われた頃、ファンはももクロメンバーに加勢する“武士(もののふ)”となった。ある意味、数あるアイドルグループのなかで“アイドル戦国時代”を最も楽しんだのは、ももクロとそのファンだったに違いない。

 そこには、ももクロの持ち味のひとつであるプロレス的なエンタメ性もある。「抗争」的な図式を自ら仕掛けていくスタイルだ。トーク修業の他流試合として組まれる「試練の七番勝負」もそのひとつだろう。

 突然古い話になって恐縮だが、日本のプロレスの礎を築いた戦後のヒーロー・力道山は、こんな言葉を残している。「プロレスはショウとして荒技をみせてファンを喜ばせながら実力で勝負をきめるものだ。ショウと真剣は紙一重というが、それがプロレスの信念だ。そのためには一般的にレスラーの技量をあげ、見て楽しいものにしなければならない」(村松友視『力道山がいた』より)。

 この「プロレス」の部分を「ももクロ」に置き換えても、それほど違和感はないだろう。「ショウと真剣は紙一重というが、それがももクロの信念」なのだ。

 さらに力道山は、こうも言う。「もちろん、米国的なものが日本で盛んになっていくとは思えない。だから日本人に向く、いわばショーマンシップのあまりないプロレスとしてやっていかなければならないだろう。この信念は最初から、いささかも変わる事はない。どんな技にも耐えられる強い体を鍛え、そしてスリルに富んだ真剣な試合をやる。そうすれば大向こうの喝采だけを狙うショー的なレスリングより、はるかに面白い」(竹内宏介『さらばTV(ゴールデンタイム)プロレス』より)

 力道山のこの言葉には、ももクロの「全力」に通じるものが感じられる。ショーの部分を残しつつも、それを忘れさせるような真剣さにファンが出会える場所。それが力道山の試合であり、ももクロのライブなのだ。

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