「後日、彼女は、“あれは話題作りのために宮脇サイドにより仕掛けられた茶番だった”と語っています。確かに“子役イメージ脱却を狙う宮脇側が一方的にリークした”というのならわかります。ですが、三原自身も『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演し、『恋人はいます』と発言するなどしていた。当時16歳の新人女性アイドルにそんなことをするメリットがあるとは思えません。関係者はなぜ、それにOKを出したのか? これは大きな謎です』(週刊誌記者)

 結果的に、これが人気の足を引っ張ったのか、レコード売上では徐々に松田聖子に差をつけられてしまう。

 それでも82年には、再びヒット曲を出し、念願のNHK『紅白歌合戦』出場も果たすなど、アイドル歌手として立派な実績を残している。

 時期は前後するが、結局、宮脇との関係はウヤムヤとなり、立て続けに同じツッパリ属性と見られた沖田浩之(故人)と交際を公表。こちらはガチな熱愛だったようだ。

 84年に20歳を迎え、“三原じゅん子”と改名。一方で、そのツッパリぶりは変わらず。87年に交際中のタレントとの写真を撮られ逆上、記者を暴行する騒ぎを起こしている。

 同じ頃、カーレーサーとしてデビュー。10年以上続いたその活動は、芸能人のお遊びの域を出た本格的なもの。事故で重傷を負うことが何度もあった。

 また、94年にヘア写真集をリリースした点も見逃せない。

「以前、民主党に映画でチラッと裸になったことがある衆議院議員がいましたが、ヘアを披露した国会議員は日本で彼女だけでしょう」(前同)

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