■服部良一との関係修復に当たった力道山

 その関係の修復に当たったのが、事情を承知した力道山だった。主催するパーティにひばり母子と服部を招待。両者が向かい合う席を用意したのだ。それまで、お互いの面識はあったものの、2人の人生が大きく交わった瞬間だった。「母親の喜美枝さんが、不満で会場を後にしようとするのを力道山が説得。母子の席に服部を呼んで、一緒にダンスを楽しむように仕向けたんです。そのときに服部から“あの通知は自分の意思ではない”と説明があり、双方が和解したそうです」(当時の芸能関係者)

 ひばりの生涯レコーディング楽曲は1500曲(オリジナル楽曲517曲)、舞台230公演、出演映画本数は165本を数えるが、力道山の主演映画『力道山物語 怒濤の男』(55年・日活)では、主題歌を歌って友情出演。ひばりのレコーディング中に、力道山が陣中見舞いに訪れている。同映画封切り直前の11月、ひばりは大阪大会最終日のプロレス試合を観戦。この試合で力道山はフェアな試合ぶりのダラ・シンに対して、得意の空手チョップを封印。空手チョップに対する手厳しい批判を意識してのことだった。自伝『空手チョップ世界を行く』の中で、打ち上げの席で、ひばりから激励された様子を明かしている。

〈試合を見てくれたひばりちゃんが、「その気持ちはわかるけど、空手チョップの出ないリキさんはやっぱりつまらない」というのだ。その宴席でひばりちゃんは、『力道山物語』の主題歌・『怒濤の男』を伴奏なしで歌ってくれた。私は思わず涙ぐんでしまった〉

 互いを「ひばりちゃん」「リキさん」と、まるで兄妹のように呼び合うほど親しかった2人。この関係を、力道山夫人の田中敬子さんは自書『夫・力道山の慟哭』の中で、こう語っている。

〈ひばりさんのお母様が力道山の大ファン。多忙なひばりさんから会うスケジュールをいただけないかと電話があるそうです。力道山が「ひばりは俺に惚れてたんだぞ」とよく言っていたことも本当だったのではと思うようになったんです〉

 当時のひばりは、「映画で共演した鶴田浩二を“鶴田のお兄ちゃん”、高倉健を“健ちゃん”と慕い、中村錦之助や大川橋蔵と仲が良かったことが誤解され、恋多き女といわれたようです」(当時の芸能誌デスク)

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