■結婚後、すぐに離婚して

 一方、力道山は「女遊びは男の甲斐性だ」と豪語するほど女性が大好きだった。「1週間も女性に触れないと鼻血が出ると本人が言うほどで、人並み以上に旺盛だったようです」(前出のプロレス関係者)

 力士を廃業した50年、力道山は小沢ふみ子さんと結婚するも、すぐに離婚する。離婚後に本気で恋した相手が女優の岸惠子だ。「国際線の機内で偶然一緒になった力道山は、大ファンだった岸にファンレターを送り、プロレスの試合に招待。岸惠子後援会を設立し、自ら後援会の会長に就任します」(前出のデスク)

 力道山の主演映画『力道山 男の魂』(56年・東宝)で、岸は小学校の先生役で特別出演している。「撮影の合間に力道山と岸さんが腕相撲や指相撲をしているフィルムがあって、とても楽しそうな雰囲気でした。力道山は岸さんを愛車で実家まで、よく送っていました。真夏の撮影で汗ビッショリになったときは、岸さん宅でシャワーを浴びることもあったそうです」(当時の映画関係者)

 岸は『RIKI 力道山、世界を相手にビジネスした男』という書籍の中で、こう思い出を綴っている。〈とにかく私のことを大切にしてくれました。すごく好意を持って頂いていることは態度で分かりました〉

 力道山のカーマニアぶりは有名で、海外遠征に行くたびに数台の外車を購入。自宅のガレージには常時、3台の外車が並んでいた。「56年のアメリカ遠征では、デトロイトでベンツ・ガルウィング300SLを購入。自分で運転してサンフランシスコまで大陸を横断して、日本に持ち帰っています」(プロレス関係者) 跳ね上げ式ドアのガルウィングは、力道山自慢の愛車。白バイを見つけると、わざとスピードを上げて挑発したという。

 力道山人気が絶頂だった62年11月5日、ひばりは日活スターの小林旭と挙式。「小林との結婚生活は、わずか1年7か月。価値観の違いによる決別は、“理解離婚”として大きな話題を呼びました」(芸能誌記者)

 離婚会見には、ひばりの親代わりとして結婚式に列席した、田岡一雄組長が同席した。48年12月に神戸松竹劇場に出演する際に田岡邸を訪れたのが交流の始まりで、「11歳のひばりが『影を慕いて』をアカペラで歌って、田岡三代目が、その才能に惚れ込みます。ひばりも“田岡のおいちゃん”と呼んで、慕うようになります」(当時の興行界関係者)

 ひばりと田岡三代目の絆が強くなったのは、57年正月の浅草国際劇場で起きた「塩酸事件」からだ。ひばりは、舞台でファンの少女から塩酸を顔にかけられたショックで失神。全治3週間の火傷を負う。「ひばりを寵愛していた田岡三代目は、自分たちが守らなければ、と巡業に同行。塩酸事件の翌年に喜美枝さんと“ひばりプロダクション”を設立します」(前同)

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