84年4月、『春はSA-RA SA-RA』という曲で歌手デビューする。それは、典型的な清純派アイドル路線のナンバーだった。
ところが、なかなか爆発的な人気を得ることができなかった。84年は“花の82年組”の全盛時で、アイドルが飽和状態だったことも背景にあった。同期の荻野目洋子もブレイクまでは、1年半程度の時間を要している。
大手プロの後ろ盾もあり、桑田佳祐や飛鳥涼など大物アーティストの曲を歌ったり、アニメ主題歌などタイアップも続くがヒットに至らず。長い髪をバッサリ切ってイメチェンを図るも、状況は変わらず……。
「85年になると、有力新人が続々デビュー。特におニャン子ブームとぶつかったのが痛かった。もうアイドルとしての大成は難しいと思われました」(音楽関係者)
だが、デビューから2年半。遂に彼女はA級アイドルの地位を掴むことに成功する。
86年秋に、清純派からディスコクイーンへと大胆に変身したのだ。挑発的に腰をくねらせながら、バナナラマの『ヴィーナス』をカバーする。そしてこの曲はヒットチャートを急上昇。最終的に40万枚の大ヒットを記録するのだ。
以後も、ディスコ路線のシングルを連続リリース。ヒットを連発していく。
また、女優としても才能を発揮した。特に88年の映画『恋子の毎日』(東映)は、彼女の魅力を堪能できる作品だ。
「『漫画アクション』に連載されていた、ジョージ秋山の漫画が原作です。彼女は、そのイメージを損なうことのない、おっとりとして色っぽい恋子を演じていました」(映画関係者)