まずは、同年の秋、いわゆる“ふんどしカレンダー”を発売。それは、過去のアイドルには考えられないことだった。だが、それは90年代になってからの過激路線を思えば、序の口に過ぎなかったともいえる。

 90年の紅白歌合戦に初出場。ここでは、NHKホールからではなく、別の場所に設置されたバスタブの中で歌うパフォーマンスを披露。大晦日のお茶の間の空気を微妙なものにした。

 また、当時、金銭トラブル・下半身スキャンダルが続き、バッシングの渦中にあったプロ野球選手の桑田真澄(50)との交流(交際ではない)も話題性十分だった。

 そして、決定打となるのは91年、18歳のときの写真集『Santa Fe』(朝日出版社)の出版だ。

人気絶頂アイドルの写真集。それまで誰もやらなかった快挙だった。しかも、バストトップやヘアが写った一糸もまとわない姿。出版史上に残る問題作といえた。

 『Santa Fe』は、タレント写真集としては異例の150万部を売るベストセラーに。その後のどんな大物アイドル、女優のヌード写真集もこの記録を破ることはできない。

 あまりに衝撃が大きく、さすがの宮沢りえも、それ以上の話題を提供できないだろうと思われた。ところが、翌92年、さらに強烈な爆弾を落とすことになる。

  1. 1
  2. 2
  3. 3