11月、当時は関脇で、将来の横綱昇進が期待されていた大人気力士・貴花田(46/現・貴乃花光司)との婚約を発表したのだ。当時の貴花田は、今でいえば大谷翔平のような存在。突然の発表に日本中がひっくり返った。

 しかし、わずか2ヶ月後に、「悲劇のヒロインにはなりたくない」との言葉を残し、婚約解消を発表。芸能マスコミは、大きなメシのタネをひとつ失った。

 その頃の彼女のバックには必ず、実母にしてマネージャーの“りえママ”こと光子さん(故人)の存在が見え隠れしていた。

 その過激路線は、マスコミで話題になるというプラス面はあったが、“ファンに引かれる”というマイナス面もあった。そのため、写真集は売れたが、デビュー曲以降はCDのセールスも頭打ちだったし、露出の割には継続的なファン層を生むには至らなかった。

 それに、過激な話題作りにはいつか限界がくるものだ。以後、歌舞伎役者との不倫騒動や自殺未遂疑惑、激やせなどでマスコミを賑わすが、その頃となると、アイドルとしての需要は激減していった。

 こうして、宮沢りえのアイドル生命は、短期間で消費される形で終わっている……。

 その後の彼女は、しばらくのブランクを経て、大人の女になって銀幕に復帰。02年の『たそがれ清兵衛』での演技が高く評価されて以降は、演技者として確固たる地位を確立していく。14年には、主演作『紙の月』の演技で第27回東京国際映画祭・最優秀女優賞を受賞。舞台女優としては、菊田一夫演劇賞 演劇賞などしている。

 私生活では09年に結婚・出産を経験。12年に離婚するが、18年にはV6・森田剛と再婚が発表された。

 この春で46歳。かつてのような華やかな大量露出はないが、作品を選びながら、その都度、印象的な演技を披露している。過激路線は、今は昔。80年代最後のアイドルは、日本の映画界、演劇界に欠かせない実力派女優に成長したのである。

※画像は宮沢りえのデビューシングル『ドリームラッシュ』より

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