■譜面を読めなかった弱味

 ひばりの初舞台は8歳のときだ。「横浜にあった劇場に、喜美枝さんが“ノーギャラでも”と娘を売り込んだことが、きっかけとか」(前出のスポーツ紙記者)

 1948年(昭和23年)頃から名乗る「美空ひばり」という芸名は、実はオリジナルではない。「戦前の女優に、同じ名前の人がいました」(映画専門誌記者) 両者に接点はなく、双方「偶然の一致」としている。

 数々のヒット曲を誇る彼女だが、その中にも実は、“オリジナルではない”曲がある。『悲しい酒』だ。「もともとは別の男性歌手の曲でした。ところが、これはまったく売れなかった。作曲者の古賀政男さんは、いい曲なので他の歌手に歌わせようとするも、歌唱が難しく、なかなか適任者が現れず。そこで、ひばりさんに白羽の矢が立ったんです」(レコード会社関係者)

 しかし、ひばりは“売れない歌手のおさがり”を嫌う可能性があった。「その心配があったので、関係者はオリジナルではないことを伏せてレコーディングさせたとか」(前同)

 本人は知らないままだったのだろうか?「あとから知らされ、“私を騙してたのね”と笑って受け流したそうです」(同)

 彼女には、歌手として一つの弱みがあった。「歌はズバ抜けて素晴らしい。ですが、譜面を読めなかったんです。ですから、楽器で弾いたものを吹き込んでもらい、メロディを覚えていました」(西川氏)

 それでも、完璧に歌いこなしていたのは……「持って生まれた才能が傑出していたということでしょう」(前同)

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