毒蝮三太夫と三浦雄一郎(右上)
毒蝮三太夫と三浦雄一郎(右上)

 偉大なる2大ジジイの対談が実現! 70歳を過ぎてエベレストに3度登頂し、86歳で南米最高峰のアコンカグアに挑戦した三浦雄一郎、ラジオの公開生番組を50年以上続け、83歳の今も各地を飛び回る毒蝮三太夫。両者はなぜ、人生100年時代を元気に生き続けることができるのか?

毒蝮三太夫(以下・蝮)実はね、俺は三浦さんに顔が似てるって言われたことがあるんですよ。ご不満でしょうけど(笑)。

三浦雄一郎(以下・三)いやいやいや(笑)。体型も似ていますよね。

蝮 ホントにね。だから、4つ違いの兄貴のように勝手に親近感を覚えていて、今日は楽しみにしていたんです。ところで、 アコンカグアから生還されてから、体調を崩されたようですが、お体、大丈夫ですか?

三 ええ、脳梗塞をやりまして。

蝮 えッ、ホントに?

三 そうなんです。講演会やら取材やらで忙しく過ごしていたら、肺炎をやって、それから軽い脳梗塞で入院して、1か月は点滴を受けてましたよ。

蝮 顔色をみたら、とてもそんなふうに見えないなあ。

三 アコンカグアにいるときのほうが元気でしたよ。

蝮 ハハハハ。だけど、アコンカグアでは、標高6000メートルのところまで行って、ドクターストップで断念したということだけど、それは勇気あるご決断でしたね。

三 体力は十分にありましたから、行こうと思えば行けたって思っています。

蝮 でも、医者っていうのは安全を優先しますからからね。万が一のことがあったらって。今や日本の三浦さんじゃないんだから。世界の三浦さんなんだから。

三 そう言っていただけるとありがたいですね。6000メートルの標高というのは誰でも具合が悪くなるんです。酸素が半分以下ですから。テントに出入りするだけで命がけの苦しさなんです。

蝮 酸素が半分というのは、想像がつかないなあ……。

三 朝から晩まで走っているようなもんですね。眠っているときでもね。

蝮 そんなときは、“あ~早く帰りたいな”“家の布団で寝たいな”って思ったりしないんですか?

三 それは、やはり登頂するまでは、我慢しますね。

蝮 そうか、やっぱり“頂上に行くんだ”という思いが気持ちを強くするんだな。前にも大病というのは、経験されてるんですか?

三 まず、子どもの頃に結核をやって。

蝮 終戦直後は多かったですよねえ。「ストレプトマイシン」という特効薬が出る前でね。死につながる病でしたよ。三浦さんは肺を取ったりは?

三 取ってはないけれど、肺は小さくて、肺活量は2000ぐらいで。

蝮 それはよかったですね。『男はつらいよ』の渥美清さんはね、片肺を切除したんですって。だから、無理はできなかった。撮影のときは一生懸命だけど、ふだんは静かにするしかなかったから、寅さんのイメージとはまったく違う。それで、あれだけの本数の映画に出ていたんですから。

三 それは、よく頑張りましたね。立派ですよ。僕は高校時代から運動して、大学時代から山に登るようになって強くなりました。でも、70歳を過ぎてからは心臓の手術を7回やりました。

蝮 え~、7回? 三浦さん、手術が好きなの(笑)?

三 いや~、そんなことはないんですよね。

蝮 あるいは、その病院がポイント制になってるんじゃないの? スタンプが10個たまると、心臓を新しいのに取り替えてもらえるとか。医者が“三浦さん、あと3回だから、頑張んなさい”って励ましたりして。

三 ハハハハ。だったらいいですね。普通は70過ぎた心臓手術は2回か、せいぜい3回が限界ですが、全身麻酔に近い形で、カテーテル手術を7回受けて、なんとか生き延びてます。

蝮 今は医療そのものが進んだってことでしょうね。

三 そうそう。僕もあと10年早く生まれていたら、エベレストに登れなかったでしょうね。

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