八代亜紀
八代亜紀

 国民的歌手と言っても過言ではない八代亜紀さん。来年デビュー50周年を迎える彼女が、歌手を目指すきっかけからデビュー後の苦労、さらには画家としての活動などについても明かしてくれた!

――今年の4月からは歌謡番組で自身初となる司会を務めるなど、今なお演歌界の最前線で活躍中の八代さん。来年、デビュー50周年を迎えますが、そのルーツをたどってみたいと思います。

八代 私が2歳半ぐらいのときに父が私を寝かしつけるために毎晩、浪曲を聴かせていたのね。母子もので意味も分からないのに、母子の別れのところになると泣いていたらしいんです。父は、この子はすごく感受性が強いんだなって思ったらしいんです。私が“歌手になろう”と決意したのは12歳のときでした。

――幼い頃に才能が開花されたんですね。歌手を目指したきっかけは何だったんですか?

八代 当時、父が買ってくれたアメリカの女性シンガー、ジュリー・ロンドンのLPレコードを聴いて、彼女が歌うスタンダード・ジャズに、とても魅力を感じたんです。同じ頃に父が独立して会社を作ったんですけど、なかなか軌道に乗らなくて苦労していたんです。そんな父を見て“ジュリー・ロンドンのような一流のクラブシンガーになって、うんと稼いで、お父さんを助けよう”って思ったんです。そこで私の道は決まったんですね。

――親思いだったんですね。それで、オーディションを受けられたと?

八代 いえいえ。とにかく歌を歌う仕事をやろうと、15歳のときに年齢を偽ってキャバレーで働いていたんです。

――それは思い切ったことをしましたね。

八代 私の声って父譲りで、子どもの頃は周りの子と違っていて嫌いだったんです。ところが、キャバレーで披露したら、フロアにいたお客さんが立ち上がってダンスを始めたんです。そのとき初めて自画自賛じゃないけど、良い声だなって(笑)。

――じゃあ、一躍人気者になって、そのキャバレーで長く働かれたんですか?

八代 それが3日めで両親にバレちゃって(笑)。「いつから不良になったんだ」って怒って大変でしたね。

――親御さんの気持ちも理解できますが、すごく厳しかったんですね。

八代 というか、怖かった。だって、柱時計を投げつけられましたからね(笑)。

――ええっ!? それで、どうなったんですか?

八代 父は私に直接当たらないように投げたんですけど、壊れた柱時計の破片が私の背中に当たって。さすがに見かねた母が「なんばしとるっ! この子を殺す気ねっ!」って、父にしがみついたんです。

――うわぁ~修羅場ですね。

八代 それが原因で勘当されたんです。中学校卒業後、キャバレーの仕事の前に、バスガイドもやっていたの。父もバスガイドの仕事は渋々、認めてくれたんですけどね……。

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