■織田信長は塩辛い味つけが好み

 織田信長も、タウリンが豊富に含まれているアワビを好んでいたというが、信長は全般に田舎風の塩辛い味つけが好みだった。

 こんな話が伝わる。信長が上洛する前まで都を押さえていた三好家の料理人に坪内某という者がいた。信長が都から三好勢を追い出した後、彼の料理の腕を惜しみ、試しに朝食を作らせてみたが、一口食べるや「水臭くて、とても食えん」と言い、首を刎ねようとした。しかし、坪内某が懸命に命乞いするので、もう一度チャンスを与えると、出来上がった料理は信長好みの味。坪内は京風の薄味をやめ、塩辛い味つけにして料理を作り直したのだ。

「信長だけではありません。秀吉も塩をよくとっていたそうです。現代では、塩分と聞くと、とり過ぎは血圧を上げ、生活習慣病の元凶になるというイメージがありますが、そもそも塩は漢方では体を温め、気を増してくれる元気の素とされています」(前出の平地氏)

 ほかにも、信長と秀吉には共通の好みがあった。「大豆100%の味噌を好みました。これもドジョウと同じく、トリプトファンが豊富」(永山氏)

 主食は信長、秀吉ともにコメ。しかし、両雄では食べ方が違った。「信長は湯漬けを好みました。彼の事実上のデビュー戦となった桶狭間の合戦の際、出陣前に湯漬けをかっ込む彼の姿が『信長公記』に活写されています。一方、秀吉は割り粥を好みました。コメ粒を小さく割ることからこう呼ばれます。秀吉が高野山へ参詣した際、割り粥を所望しましたが、高野山にはコメ粒を小さく割る臼うすがありません。そこで高野山では人数を集め、まな板の上で一粒ずつコメを割る人海戦術で対応しました。割り粥は天下を取った秀吉らしく、手の込んだ贅沢な料理だったんです」(跡部氏)

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