■『スター誕生!』が生んだ「花の中三トリオ」

 新三人娘を引き継ぐ形で、アイドル黄金時代をもたらしたのが、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)が生んだ森昌子、桜田淳子、山口百恵の「花の中三トリオ」である(進級ごとに改称)。「『スタ誕』出身歌手第1号は昌子(72年)です。淳子は同い年の彼女に刺激され、応募したとか」(放送作家)

 その決戦大会は、芸能プロ、レコード会社のスカウトが、獲得を希望する出場者に対し、社名入りのプラカードを掲げる形式だった。「淳子には25社がプラカードを挙げた。これは、その後も破られなかった史上最多の数字です」(前同)

 百恵がスカウトされたのは、その約半年後だ。「そのときは“第二の淳子を”と、スカウトたちの鼻息が荒かったようで、20社が獲得を表明します」(同)

 昌子、百恵はホリプロ、淳子はサンミュージックに所属する。「ホリプロは当初、自社のもう一人の新人・石川さゆりを、昌子、百恵とトリオとして売り出しますが、淳子の人気が高く、結局、事務所の枠を超えた『中三トリオ』が定着します」(同)

 百恵は、淳子と同じ中学に転校して意気投合。また、デビュー前は、先輩である昌子の付き人的な役割を果たしていた時期がある。結局、百恵は“第二の淳子”から脱却し、独自路線でトップの人気を得る。「女優業を重視したのも大きかった。ただし、出演ドラマの撮影は、彼女の過密スケジュールに左右されるため、気分を害する共演者もいたといいます」(テレビ関係者)

 こんな逸話もある。「百恵さんと体型が似た別の人物を相手に芝居をして、それを遠くから撮ることで、百恵さんに見せかけることもあったとか。『赤い疑惑』という作品では、女優としてのプライドを傷つけられたのか、先日亡くなった八千草薫さんが突如、降板してしまいます」(前同)

 百恵が、80年(昭和55年)10月の引退直前にリリースした自叙伝『蒼い時』(集英社)の中に、この件に関すると思われる記述がある(実名は出さず)。〈私は、申し訳ないと思う反面、仕方がないことだとも思っていた〉〈芸能界のシステムの中にいる以上、従わなければならないこともあるのではないだろうかと思った。ただ、そのシステムは、私が決めたことではなかった〉 

 スーパーアイドルにとって、よほど心に傷を残す出来事だったのだろう。

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