■清原和博と桑田真澄をめぐる「KKドラフト事件」

 続いては、「非情の長嶋監督解任事件」。79年に、5位に甘んじた巨人。危機感を募らせたミスターが強行したのが、有名な“地獄の伊東キャンプ”だった。「そのかいあって翌年は3位に浮上。Aクラス入りが監督続投の条件とされていたため、ミスターは来年は優勝と意気込んでいたんです」(長嶋を知る人物)

 ところが球団は一転、長嶋解任を決定する。「動いたのは川上さんでした。川上さんは、シーズン中に藤田元司や国松彰、瀧安治といった川上派と謀り、“長嶋の後任は藤田”と、当時の“読売のドン”だった務臺光雄さんを口説いたんです」(前同)

 寝首をかかれた格好となった長嶋は激怒。読売新聞や日本テレビには、ファンの抗議が殺到したという。

 長嶋監督電撃解任から5年後、またも巨人が世間の怒りを買う事件が発生する。PL学園出身の“金の卵”清原和博桑田真澄をめぐる「KKドラフト事件」だ。清原を1位指名すると思われた巨人が桑田を指名した理由は、二つあるという。一つめは寝業師・根本陸夫氏の“埋伏の毒”だ。「西武のフロントで辣腕を振るっていた根本さんは、“西武はKKの両取りを狙っている”とハッタリをかましたんです。巨人は王監督の意向もあり、清原が本命でしたが、根本さんのハッタリを信じて、進学を表明していた桑田の一本釣りに変更したんです」(前同)

 もう一つ、巨人が桑田指名に傾いた理由がある。「夏の甲子園後の鳥取国体で、桑田が大きく落ちるカーブを投げたんです。これは甲子園では見せなかった球種なので、“秘密兵器を隠していた”と、桑田の評価が急上昇したんです」(同)

 後年、ミスターは、「巨人ドラフトの歴史で最大のミスは、清原と野茂(英雄)を取りにいかなかったことだ」と漏らしたという。清原が巨人に入団していれば、プロ野球の歴史が変わっていたかもしれない。

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