■渡邉恒雄が松井秀喜に直々に

 続いては「王監督解任事件」に触れたい。88年、ペナントを3試合残すも、『日刊スポーツ』の誌面には「王監督退任」の記事が躍る。「ミスターのときと同じ。川上さんが動いて、子飼いの藤田の再登板を務臺さんに進言したんですよ。王解任をスポーツ紙にリークしたのも川上さんです」(スポーツ紙記者OB)

 ONの行く手を阻む川上という構図は、長嶋解任のときと、まったく同じだ。「川上一派の暗躍を知ったミスターは激怒し、王さんに深く同情しました。ONの絆がさらに深まった一件でしたね」(前同)

 時は流れて1995年。長嶋第2次政権の巨人で話題となったのが、「エース・上原浩治の号泣事件」だ。「松井秀喜とホームラン王を争っていたヤクルトのペタジーニの打席で、ベンチから敬遠のサインが出たことに上原が悔し涙を流したんです。マウンドで涙を拭う上原の姿は、プロ野球ファンに鮮烈な印象を残しました」(日テレ関係者)

 上原は「シーズン中、ペタジーニをノーヒットに抑えていたため、勝負したかった」と述懐しているが、面白いのは“忖度された”側の松井の本音だ。上原との対談で、「後ろから“勝負しろよ!”って思ってた。勝負しないと、こっちも勝負してもらえないから」と発言している。確かに、松井の言う通りかも!?

 そんな松井が、FA権を行使してメジャー移籍したのが02年のオフだった。このとき巨人は、グループを挙げて“松井流出阻止”に動いていた。「原監督が引き止めに手をあげましたが、失敗。ミスターは本音ではメジャー移籍容認派。そこで、“最後の切り札”として、渡邉恒雄さんが直々に動いたんですよ」(球団関係者)

 それでも、松井は首を縦に振らなかった。「ナベツネさんは激怒。彼が選手と直接交渉したのは、松井が最初で最後でしたからね。以来、松井は“ナベツネパージ”リスト入り。国民栄誉賞をミスターとW受賞するまでは、ナベツネさんは松井を許していませんでしたね」(前同)

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