■『8時だョ!全員集合』放送開始

 志村が過酷なボーヤ生活を続けて1年半がたった69年10月から『〜全員集合』が放送開始。ドリフは、いよいよ国民的スターへの階段をのぼることになるが、19歳の志村の気持ちは晴れなかった。〈コメディアンになるために苦労しているはずなのに、そのチャンスも、きっかけもみつからない。師と選んだいかりやも、何も言ってくれない。あせり始めた血気盛んな志村は、ボーヤ仲間を誘ってドリフを離れ、旗揚げしようと考えた〉

 なんと、志村は脱走してしまうのだ。〈ところが、コンビで旗揚げするつもりだった仲間のボーヤが、いつまで待っても一向に脱走してこない〉

 相棒候補の翻意により、志村はやむなく他の仕事で生活費を稼ぐことに。そんな生活がしばらく続いた。だが、それでは、なんのために脱走したか分からない。そこで……。〈振り出しに戻るしかないと、志村はふたたびドリフターズのボーヤ生活に戻る決心をした〉

 なんとも、肝が据わっているというか、得な性格だというか……。だが、そんな志村とて、いかりやに再び直談判する勇気はなかった。〈相談に乗ってくれそうなのは加藤茶である。神妙な顔つきで加藤の家を訪ねた志村は、いかりやへの仲介を頼み込んだ〉

 その場面を想像すると、まるでコントの1シーンのようだが、志村は真剣であり、加藤茶(77)は、ハゲヅラを被っておらず、“ひっきしっ!”とクシャミをすることもなかった。結局、志村は復帰を許され、しかも、東村山(東京の多摩地域)からの通いは大変だからと、加藤宅に、ちゃっかり居候することになった。〈『あんな楽な時代はなかった』と志村は言う。それもそのはずである。生活費は安上がりだし、仕事場は一緒なのだから、加藤についていけばいい。おまけに志村は運転免許を持っていない。(中略)加藤の運転する車に行き帰り乗せてもらうことになる。当代随一の人気者加藤茶を運転手に、その隣に名もないボーヤ志村けんが、ふんぞり返って乗っていた毎日だったのである〉

 まるで、バカ殿のような日々ではないか。〈『それだけじゃないんだよ、家へ帰って気がついたら、あいつ俺より先に、風呂へ入っちゃんてるんだよ。まったく、どっちがボーヤだかわかんなかったよ』と加藤は笑う〉

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