■「マックボンボン」というコンビ名で

 やがて志村は、一緒に脱走するはずだったボーヤ・井山淳(75)とコントを作り始めた。すると関係者に認められ、「マックボンボン」というコンビ名で、ドリフの前座などで、舞台に上がるチャンスを得た。前出の西条氏は子ども時代に、その生のステージを観た記憶があるという。「普通、ツッコミは相方を手で張り倒しますが、志村さんは立ったまま足を上げて、足の裏で、ほっぺたを張り倒していたんです。ジャイアント馬場の16文キックより、スピードがあるイメージですね。それを、よく覚えています」

 誰もやったことのないネタをやり続け、1年半が経過すると、テレビ出演のチャンスが来た。ところが……。〈いかりやは、烈火のごとく怒った。(中略)ほんの一握りしか持ちネタのないコンビが、テレビでもみくちゃにされたら、あっという間に潰されてしまう〉

 だが、テレビ出演の企画は、すでに断れない段階まで進んでいた。番組名は『ぎんぎら!ボンボン!』(日本テレビ系)。しかし、これは大きくコケた。〈いかりやの猛反対は正しかった。マックボンボンは沈んでいった〉

 低視聴率から、番組は3か月で終了となったのだ。〈このショックでマックボンボンの片棒の井山淳が蒸発してしまった。(中略)志村は、マックボンボンを維持していくために、ドリフターズのボーヤのなかから福田正夫を選び、新しい相棒に据えた〉

 ところが、このコンビはうまくいかず、「マックボン」は消滅。それでも夢を諦めきれなかった志村は、どうしたのか?〈こうなったら、もう1度、ボーヤから始めるしかない。出直す覚悟を決めた志村は、いかりやを訪ねた〉

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