■「ドーハの悲劇」を経験

 福田氏は89年、三菱重工業サッカー部(現・浦和レッドダイヤモンズ)に入団。当時は2部リーグながら、いきなり得点王を獲得し、翌年には日本代表(A代表)に初選出。そして「Jリーグ」が開幕した93年、ドーハで行われたW杯アメリカ大会アジア最終予選に、主力選手として出場する。

福田「この年は慌ただしく、プレーだけに集中できないシーズンでした。コンディションが悪化して、自信を失った状態でドーハを迎えてしまったんですね……」

 そして、かの有名な「ドーハの悲劇」を経験する。

福田「大きな挫折でした。試合で何もできませんでしたが、今思えば、プレッシャーから逃げていた。そんなネガティブ思考では、いいパフォーマンスなど生まれません。それまでの自信を、すべて打ち砕かれた。それが“ドーハ”でした」

 その心身の沈滞はドーハ後も1年ほど続いた。その呪縛をほどいてくれたのが、95年の「Jリーグ日本人初の得点王」の戴冠だった。

福田「最終週までスキラッチ選手と並んでいたので、同点か単独かが焦点。ファンやチームの雰囲気、そしてマスコミの取材もプレッシャーでしたね。そんな中、最終戦でPKが回ってきました。それまで何度かPKを外していたので“また外すかもしれない”という思いもあった。でも、そんな重圧を蹴り破ってゴールを決め、自信をつかむことができたんです」それは“何も成し遂げることができなかった”呪縛から解放された瞬間だった。

福田「吹っ切れたというか、突き抜けた感がありました。それまでと、まったく違う世界が見えて、大きな自信を持つことができた。それが“得点王”でしたね」

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