■球界関係者と王の家に取り決め

 実は球界関係者と王の家には、取り決めがあった。王の実家を訪れる関係者は、プロ球団はもとより、社会人野球、大学関係者と引きも切らなかった。そこで、生真面目な王の両親は、「貞治は未成年ですので、重要な話をする際は、必ず私たちか、兄の鉄城を同席させてください。貞治が一人のときにどんなお話をされても、それは認められませんからね」と、関係者にクギを刺していたのだ。

 デスクは沈黙する王に、こう続けた。「佐川さんに阪神に行くと返事したことは、ご両親は知っているの?」「まだ言っていません。ただ、佐川さんから熱心に誘ってもらっていることは、両親も知っています」

 報知のデスクは、系列球団の巨人が王を欲しがっていることを知っていた。ただ、巨人は「王は早大進学」と、諦めていたのだ。「新聞記事まで出てしまった今、一刻の猶予もない」

 そう考えたデスクは、王にこう言った。「阪神はご両親との約束を破ったわけだよね。だから、まず、ご両親に、そのことを話さなくてはいけないよ」

 王と押上の実家に戻ると、時刻は午前1時を回っていた。デスク同席のもと、王が両親に一部始終を説明すると、母親の登美さんが、「貞治、あれだけ言っておいたのにダメじゃない」と、王を叱った。続けて父親の仕福さんが、「明日、鉄城から佐川さんに、“貞治との約束はなかったことにしてもらう”と連絡させます」と言った。佐川スカウトの無念やいかばかりか。この瞬間、阪神入団は白紙に戻ったのだ。

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