■大相撲元横綱はプロレス入りして

 引退後、借金問題で角界を追われた元横綱・輪島大士は、38歳で全日本プロレス入り。米国修行を経てデビューを目指していた時期に、師匠・馬場と対談していた(86年5月5日号)。輪島は自らの借金について、あっけらかんと語る。「ちゃんこ屋が潰れたときに19億ぐらい、自分の借金が4億ぐらいあるらしいんだが、オレ自身はハッキリ分からんのですよ。あの頃は、やれ事業に一口乗れだ、いい儲け話があるだの、ほとんど聞いたことがないような人間まで、オレの名前を使ってましたから」

 馬場が「元横綱に相応の待遇」を告げると、本音が。「助かったあ。内心、気が気じゃなかったんですよ。これでデカイ顔して銀座にも乗り込めますよ」

 輪島に続き、のちにプロレス入りする元横綱の北尾光司(双羽黒)は“スポーツ冒険家”と名乗っていた24歳時、本誌に初登場(88年7月4号)。ここで、大相撲廃業の理由を語った。「たまたま、親方と親子ゲンカが発覚しちゃって、それを部屋では長男にあたるボクが責任とって家出したっていう解釈してくれれば。(中略)もういいんですよ。相撲界での王様気分も味わわせてもらったしね」

 知られざる横綱の“夜の一番”については「ガールフレンドは絶えず4~5人」と告白。横綱がいかにモテるかを力説した(89年5月15号)。「ホテルなんかにいると、ドアがノックされるわけ。開けてやると、3人くらい女のコがならんでるの」

 その3人を“同時ごっつぁん”するのか否かについては、答えを濁している。

 本誌は創刊から、多くの力士に話を聞いていた。タレント活動もしていた12代目田子ノ浦親方(元関脇・出羽錦=当時39歳)は、65年2月11日号で「力士になっていなければ?」という質問に素直に答えた。「柔道家。もともとわしは、あまり相撲が好きじゃなかったんだ。まだわしが小さい頃は、プロ野球が今ほど盛んじゃなくて、スポーツといえば相撲だった」

 まさかの相撲嫌い発言だが、現役時代について「相撲をショーとして演出していたように見えるが?」と聞かれるとムッとした。「相撲もゼニとって見せているんだから、一種のショーだとは言えるかもしれない。しかし、勝負っちゅうものは、あくまで実力でケリをつけるものだからね」

 元大関・朝潮の高砂親方(当時62歳)は、18年5月日号で、かつての弟子、元横綱・朝青龍を絶賛。「アイツは勝手に強くなった力士だったなぁ(笑)。若い頃は、私が“もう、やめろ!”というまで稽古をしていたし、運動神経と集中力が抜群だった」

 一方で、最近の若い力士には苦言も。「巡業の土俵で一生懸命、稽古する力士が伸びていくんです。でも、実際はあまりいないんだなぁ、そういうヤツが……」

 18年9月24日・10月1日合併号で本音を吐露したのは、若貴のライバルとして君臨した元横綱・武蔵丸の武蔵川親方(当時47歳)。「小泉(純一郎)首相は表彰式で『痛みに耐えて、よく頑張った。感動した!』と言ってたけど、本割で勝って優勝決定戦に持ち込んだのは俺。俺は何か悪かったのかな?  俺は頑張ってなかったのかな?  って、すごく悲しくなって、その夜、『もう相撲を辞めよう』と思ったんだ」

 ここで言及しているのは、01年夏場所千秋楽における、貴乃花との優勝決定戦。負傷を抱えた貴乃花への判官びいきが高まり、館内は異常な雰囲気に包まれた。貴乃花の上手投げで敗北を喫したが、好敵手への敬意は変わらない。「すごい人だと思っているし、一番強かった力士だね」

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