プロ野球「名勝負&オールスター珍事件」舞台裏の画像
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 70年ぶりに、野球の祭典が開催されない2020年。寂しい夏の憂さを晴らす、伝説の名&珍場面を振り返ってみよう!

 夢の球宴にふさわしいのは、やはりスーパースター。ONこと長嶋茂雄王貞治(ともに巨人)もまた、数々の名勝負を演出してきた。まずはミスター。印象深いのは「現役最終年、意地の特大アーチ」だろう。それは、巨人がV10を逃すことになる1974年のこと。この年、長嶋は不振にあえいでいた。「前半戦終了時点の打率は2割3分8厘と、規定打席に達する打者で最下位。それでもファン投票では6万5944票を集め、最高得票で球宴に選出されました。本人は複雑な心境だったでしょう」(当時を知る元スポーツ紙記者)

 だが、長嶋はすぐに気持ちを切り替え、オールスター戦へと臨んだ。「まだ引退発表こそしていませんでしたが、本人は最後の球宴になると、心に決めていたんです」(前同)

 そして、第2戦の第2打席。無死一、二塁のチャンスで打席に立った長嶋は、初球をフルスイング。ボールは左翼席に飛び込み、特大のホームランとなった。「ラストの球宴で、こんなにド派手な名場面を作るのは、いかにもミスターらしいですよね」(同)

 そして、長嶋とともに巨人の黄金時代を築いた王。その「オールスター戦初本塁打」が、球史を変える運命的な一打だったと言えば、驚くだろうか。それは62年の第2戦、東映のエース・土橋正幸の初球を右翼席に叩き込んだ一発だった。「王が球宴で一本足打法を見せたのは、この年が初めて。実はオールスター戦直前の大洋戦で、一本足を試し始めたばかりだったんです」(旧知の元記者)

 のちに王の代名詞となる一本足打法。大洋戦の開始直前に急遽、荒川博コーチと試すことを決めたという。「この試合でホームランを打ったことで、球宴も一本足で臨んだ。そして見事にホームラン。後日、本人も“まだ試行錯誤の段階で、土橋さんという一流投手から一発を打てたことがどれほど自信になったか”と振り返っていました」(前同)

 そして王は、こう付け加えたという。「あのホームランを打ったゲームが、オールスター戦で一番印象深いですね」

 この球宴初アーチこそ、一本足打法の原点とも言えるのだ。そんな“世界の王”も、オールスター戦で「27打席連続ノーヒット」だったことがある。立役者は、南海の正捕手・野村克也だ。「人気のセ・リーグには負けないという意地もあったんでしょう。ノムさんにとって、球宴は真剣勝負の場。特に王さんについてはきっちり弱点を見つけ、日本シリーズさながらの厳しい配球で抑え込みました」(スポーツライター)

 野村本人は“セの捕手が王攻略法を見習ってくれないから、俺の記録が抜かれた”とボヤいていたとか。「もっともノムさんは、ペナントに役立てるため、味方であるパ投手陣のクセの観察にも余念がありませんでした。ただ、稲尾(和久)さん(西鉄)だけは、それを見抜き、ノムさんのリードに従わなかったようです(笑)」(前同)

 ちなみに野村は、史上最多となる「球宴通算48安打」、42歳だった77年には「最年長MVP獲得」と、偉大な記録も残している。

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