馬場がプロレスの本場、アメリカの地で転戦していた61年頃、力道山は猪木を付き人にして徹底的に鍛え上げた。

「63年、力道山は暴漢に襲われ、急死します。請われて緊急帰国した馬場さんは、日プロのエースとしてポスト力道山の地位を確立しました」(専門誌記者)

 当時の馬場と猪木の心情について、『プロレススーパースター列伝』などの作品で知られる漫画家の原田久仁信氏は、こう語る。

「馬場は最初から力道山が敷いたレールの上を歩いてきたエリートだけに、師匠の死に困惑したはずです。一方、猪木はもともと、無からの出発だったので、図太さがある。この違いが後のプロレス人生を方向づけたのではと思います」

 馬場から遅れること約3年、猪木はようやくアメリカに武者修行に向かい、成長を遂げる。

「この過酷な海外転戦で猪木さんはひと皮むけた。そこで得た自信と馬場さんへの対抗心が、日プロを放逐された豊登が作った新団体、東京プロレスへの参画につながります。しかし、同団体はわずか4か月で崩壊しました」(前出の記者)

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